¿De qué?

martes, 12 de abril de 2011

Pasado un mes, el re-comienzo / 再始動

東日本大地震発生よりまるひと月が過ぎた。そんな昨日はまいった,の一言で終わる一日だった。久しぶりの非常勤が東海大学で始まって2コマ続けてしゃべっただけですでに授業中に喉が痛くなる。やれやれ。発声のなってなさを痛感。しかし学生(とくに新入生のクラス)は元気だった。天気のよい春の日によくあってた。17時頃大学を後にして小田急線から千代田線に乗りついでしばらくしたところで,かなり大きめの余震があったことに車内アナウンスでやっと気づく。それで電車の雰囲気が何か違ったものに感じられていたのかが腑に落ちた。少し進んではしばらく停車を繰り返し,3時間ほどかかって亀有駅着。電車を降りるとたいそう雨が降っているではないか。むろん傘はない。かくして天気予報は当たっていたのだった。いや,降り始める前に帰宅するつもりで家を出たのだけど,まあそれに間に合わなかっただけのこと。ぎりぎりまだ開いていた駅近くのダイソーでビニール傘を買って雨の中を徒歩にて帰る。中川橋上では強風が横に吹きつけてきてたおかげでスーツのズボンはびしょ濡れだ。でもパンツの中まで~にはならない程度で済んだからよしとするべきだろう。とにかく長い一日だった。

今日は授業はなかったのだけど獨協大学に行く。LLの授業を担当することになったので,授業開始日が延びたことだし,事前に操作を教わるために。阿部さんはサポートをどうぞよろしくお願いします。そして萩原さんにはいろいろな申請手続きまで付き添っていただいてたいへんお世話になりました。朝には講師室で偶然同僚になるPiliに会って,僕の用事が終わったらお茶をする約束をしたので研究室に伺うと,お昼まだだったら美味しいインド料理屋さんがあるからということで,じゃあそこに行こうとなった。食べてる最中に揺れがきてPiliが思わず外に出たので後を追い,揺れが収まるのを待った。そんなことがあったけど,ラッシーなる飲物も試したりして美味しくいただきました。Piliご馳走さまです。ひとしきりおしゃべりもしてキャンパスに戻ると彼女はもう少し授業準備をするということで校舎の中に消えていった。しかし獨協大学は,キャンパスだけでなくそこで働く人たちや行き交う学生たちまでもがなかなかいい雰囲気を漂わせていた。Piliには「ここは好きになれそうだ」と率直に伝えたら彼女も似たような感じを抱いてると応えてくれた。キャンパスは新入生の何かしらの行事があったのか,かかる学生とその学生たちを目的にした新入生勧誘に精を出す在学生たちでにぎわっていた。

さて僕は帰宅。18時から歯医者の予約。ブリッジが入る日だ。マドリーでのあの日から約7か月。ようやく隙間が埋まった。と同時に歯並びの悪さがもしかしたら先天的なものなのでは,将来子どもにも伝わるのではとおどかされる。その時まで自分の歯並びの悪さは,相対的な顎の小ささと4本とも完全埋伏歯の親知らずのせいだろうと勝手に思っていたのだけど,どちらの可能性も否定されて終わる。まあそうしたら子どもは矯正だね。僕はしたことないけど。それよりまずまだ子どもいないけど。あと,僕は無意識のうちに歯を強く噛みしめ過ぎる癖があることもあわせて教えてもらった。おそらくそのせいで歯を支えている骨が発達して隆起してしまっているとのご指摘。これは,たとえば将来入れ歯をする際に問題になるという。これに対する僕の説明は次のようなものだけど,これも否定されるのかは定かではない。そこまでは話に出さなかったから:
小学生のころに年に一度,夏になると山梨と松本に住む同い年の従兄弟と3人で大阪にある色覚異常を改善する治療を施すというクリニックに,その山梨の従兄弟の母親に付き添ってもらいながら通っていた。大阪に住む親戚の家にみなで寝泊まりさせてもらって,でも今となっては一週間だか一か月だか,どれくらいの期間通っていたのかよく覚えていない。そこでの治療方法は,まず一人一人図書館にある備え付けの勉強机のような台の前に腰かけて,イヤフォンのヘッドが直径5センチ程度の円形状になったモノにスポンジをはめ込み,それを通電液で濡らしてこめかみ辺りに押し当てて目を閉じスイッチをオンにすると,一定間隔で断続的に電気が流れてそうすると暗くなった眼前に光の輪がくるくる回って現れるのでそれをしっかりと見続けましょう,というものだった。とにかく,これも一回当たりどのくらいの時間受けていたのかはもはや覚えていないのだけど,この電通治療が痛くて痛くてよく泣きべそかきながら受けたものだった(たまに異形の器具を使う回があって,それはこめかみではなく細長いスポンジを鼻の中に突っ込んでそこへ通電するというモノ。さらに痛くて見た目以上に悲惨。終了後スポンジを抜くと鼻水がだらーとなることは想像に難くないであろう)。もちろん決していいものではなかった。「和同会の山田です。・・・」と淡々と語る院長であろう人物の録音テープが繰り返し繰り返し流されていたことがあわせて思い出される。それでもよかった思い出として残ってるのは,待ち合い室にあった手塚治の漫画が読める瞬間(とくに『三つ目がとおる』を読んでた覚えがある),従兄弟同士でクリニックの行き帰りの道すがら「ゲームウォッチ」(「ゲームボーイ」の先駆けのようなもので,今ググったら「ゲーム&ウォッチ」という任天堂の商品があったことを知る,というかそんなものもあったかとうっすら思い出す!)で遊んだこと(ゲゲゲの鬼太郎のゲームだった)や夜な夜な怖い話をし合ったことなど。これは本当に楽しかったな。と,回顧が長くなった。仮説的説明に戻ろう。そんなにも痛い治療だったので,かなり歯を食いしばって耐えていたに違いない。これを毎年わずかな期間でも繰り返すうちに,噛みしめの癖がついてしまったのではないかと思うのだが,どうだろうか。

さ,だいぶ記憶を遡ったところで,明日は母校での初日だ。

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