¿De qué?

sábado, 19 de febrero de 2011

Shirasuka --> Katsushika-ku


Día X = 引越
Cargado originalmente por matsuken_flk

Mudanza, que va a tener lugar dentro de 5 horas...

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先週末に久しぶりに家族(母・祖母)で映画を観に行って銭湯に入ってから早一週間。『白夜行』(深川栄洋監督,堀北真希・高良健吾主演)をふりかえる暇もなく今に至る。ところで,往生際の悪いことに今日も古本屋にいらない本を売りに行ったら,探していた本が運よく見つかったので購入: 内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書,2002)。事前に送った荷物の半分は書籍だっていうのに。やれやれ。

sábado, 5 de febrero de 2011

Misión cumplida / 物件探しの任終了


Jardín Nacional Shinjuku Gyoen / 新宿御苑 (2)
Cargado originalmente por matsuken_flk

Tras la búsqueda de piso por Tokio, ya estoy de vuelta a casa de Shizuoka. Al final no viviré en el prefectura Kanagawa sino en uno de los 23 barrios especiales de la capital llamado Katsushika-ku. Éste es bien conocido gracias a una serie televisiva y una saga cinematográfica que la sigue, Otoko wa tsurai yo, todas las que protagonizó Kiyoshi Atsumi o reconocido popularmente como Tora-san (Torajirou Kuruma) según el papel interpretado en las obras. Aunque estuve muy poco tiempo ahí, me pareció bastante cómodo y creo que me va a gustar.

Durante esta estancia, me pude pasar por dos sitios. Uno es un comedor de carne a la parrilla que está en la ciudad Machida, el que visité con mi hermano más pequeño cuando vivíamos juntos hace unos 6 años. Es una localidad no muy grande, más bien muy pequeña para ir más de cinco personas, pero tiene ambiente muy casero y al asar carne se puede gozar de su propio estilo. Otro es el Jardín Nacional Shinjuku Gyoen, al que quería ir desde hace años. Ahí ya se puede disfrutar del cerezo Kanzakura bien florecido como se ve en la foto de arriba.



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そして次に読み始めた本は,プラトン著『ソクラテスの弁明・クリトン』(久保勉訳,改版,岩波文庫)。

martes, 1 de febrero de 2011

いいペースで読了?

昨年末に読み始めた内田樹『街場のアメリカ論』(文春文庫,2010)を終える。あとがきや解説を含めて300ページ弱の分量だけど,少しは本読みのペースが上がったことを期待。この本は,そもそも2005年にNTT出版からでた単行本の文庫化であるのだが,著者自身,執筆当時から5年以上たった今でもこの本のリーダブルさを認めている。注目すべきはその理由に挙げていることなのが,それは,汎用的なるアメリカ論『アメリカにおけるデモクラシーについて』をすでに約180年前にその一隻眼をもってして著したアレクシス・ド・トクヴィルに本書が捧げられている,ということである。そこでは,そんな昔の人「トクヴィルが墓場から甦って読んでも『わかる』」(内田,前掲書,「文庫版のためのあとがき」より,p.265)ことを目指したそうな。
そんなトクヴィルの偉大さを,内田センセは次のように述べている:
 どうして、これほど時代を越えた汎用性を獲得しえたかというと、それは彼がその「アメリカ論」を「アメリカのことをほとんど何も知らない読者」」を想定して書いたからである。(中略)
 だから、トクヴィルは噛んで含めるように書いている。そして、まさにその「噛んで含める」という点においてトクヴィルの批評性は際だつのである。「どなたもご存じないと思うので、一言でご説明すると・・・・・・」というのは「周知のように」というアプローチとはまったく逆のものである。「どなたもご存じないこと」を「一言で説明する」という仕事において、知性の質の差ははっきり現れる。
[同書,「あとがき」より,pp.262-263]
どこも同じような話題を同じような論調で表面的なことしか扱おうとしない(扱えない)昨今の日本のメディアに,以下の指摘を十分に噛みしめていただきたいと切に願う次第である:
トクヴィルは百七十年後の読者にとっても示唆的な知見を述べているが、それは彼がアメリカン・デモクラシーの「本質とは何か?」という問いのみに思念を限定し、派生的な現実に興味をとどめなかったからである。
[同書,「あとがき」より,pp.264]
つまり,「アメリカン・デモクラシー」の部分を取り上げようとするその「問題」に置き換えて行動してください,というお願いである。
最後に,本書の「文庫版のためのあとがき」にはそうした態度による著者なりの実践の片鱗が,「普天間基地の移転問題」という論件について,垣間見れることを記しておく(でも大筋はブログでも読んだ気が)。