¿De qué?

lunes, 28 de marzo de 2011

Día de compras / 停電の中の映画に魅かれて

雨の一週間から解放された週末。
昨日は月例研究会で終了後はいつもどおり打ち上げに。駅前のいつものお店はありがたくも営業中だった。電車を乗り継いで日付も変わり無事に0時半ごろ帰宅。冷え込みはまだ厳しいうえに強風。歯磨いて顔洗ってちょっと本読んで就寝。

そして本日も快晴。遅めに起きてシャワーを浴びてる間に洗濯機クンに働いてもらう。軽い朝食を取ったあと洗濯物干したりしてたら昼飯時に。焼きそばの麺が賞味期限切れだったので迷わず昼食に決定。キャベツ・玉ねぎ・人参・豚肉がお供する。少し早めにだけどもう乾いてたから洗濯物を取り込む(これが冬のいいところ。マドリッドにいたら冬といわず一年中洗濯物の乾きは速くて便利なんだけど)。
天気もいいから勉強道具をもって亀有駅方面に出かける。久しぶりに自転車に乗って行くも,中川橋を渡ったところにある某ショッピングモールに置かせてもらい(帰り際にユニクロでパンツ2枚買ったから許して),モールの中を抜けてあとはぶらぶら徒歩で駅まで。しかし週末のこのモールの混みようはいかがなものか。2階・3階の売り場も営業を再開したらしく,それでも節電のためか通路の照明が半分くらいは消された中で人の姿が1階から見えた。
駅周辺でどこかコーヒーの飲める落ち着いたお店がないか探しているうちに北口のツタヤが見えてくる。ここにあることは知ってたけど今日初入店。入るなりDVD3本で3千円のワゴンセールにつかまり,次の3本をチョイス。これが今日の収穫:

- 『薔薇の名前』(ジャン=ジャック・アノー監督,1986年)
原作は哲学者であり小説家でもあるウンベルト・エーコの同名の有名作品。僕は未読。14世紀の北イタリアにあるカトリック修道院を主な舞台にしたミステリー・サスペンス映画。ショーン・コネリー主演。

- 『デスペラード』(ロバート・ロドリゲス監督,1995年)
あのManuが"loco"と称するちょっと面白く馬鹿げたアクション映画を作るのが得意なR.ロドリゲス監督・製作・脚本作品(ちなみに,locoはほかにもいて,たとえばAlex de la Iglesiaもその一人で「これは絶対おすすめ」というManuの意気込みに負けてついに観たのがDía de la bestia (同監督,1995年)。マドリッドが舞台のこの映画には,グラン・ビアの広告塔であるシュウェップスSchweppesのネオンをもつビル(カリオンビルEdificio Carriónというらしい)やまだ工事途中で未完のキオ・タワーTorres KIOをみることができる)。僕は,スペインにいる間にMacheteを観たかったのだけど果たせず帰国。この『マチェーテ』は,実は映画Planet Terror(同監督,2007年)の冒頭に「実在しない」映画の予告編として披露される。ロドリゲス監督はQ.タランティーノと仲良しらしく,彼の狂気じみたホラー・アクションから繰り出されるジョークに近いものがあると言えば,当たらずといえども遠からずか。ギャングに恋人を殺され,復讐の旅に出た伝説のガンマン・マリアッチの物語。

- 『スパニッシュ・アパートメント』(セドリック・クラピッシュ監督,2002年)
舞台はバルセロナ。主人公はパリ出身の大学生グザヴェイ。そう,彼はエラスムス計画(ヨーロッパ諸国間の交換留学プログラム)でスペインにやってくるの。そこのアパート(つまりpisoだから隣人としてではなく一つ屋根の下)で暮らすことになる国籍がみなバラバラの男女6人の共同生活を描いた話。登場人物の出身国は,フランス,イタリア,ドイツ,英国,スペイン,デンマーク,ベルギーだそうな。『アメリ』以前のオドレイ・トトゥも出演。
Cfr. http://movies.foxjapan.com/spanish/

日本ではDVDを買うことはほとんどなかったのだけど,研究会のメンバーで4月から在外研究に行くためしばしのお別れとなる先生が,先日の計画停電にあたった日にパソコンで映画を見てやり過ごしたっていう話を聞いて,それに感化されたのかもしれない。しかし蝋燭も買わないで映画を買うとはいかがなものか。
結局,本を読むための適当な店が見つからず,というかあまり気分が乗らなかったのかもしれないが,そのまま駅周辺を散歩する形になって帰宅。カレーの日である土曜の夜は外食だったので,繰り下げということで今晩の夕食もすでに決まっていたのだった。

jueves, 24 de marzo de 2011

寝読・移動読書がはかどる(?),今日この頃

ここのところ寝つきが悪くて,これは僕にとってはすごく珍しいことなのだけど(のび太くんの記録には遠く及ばないが,横になるとわりとすぐに眠りにつく),ともかくそういうこともあってか寝読がすすむ。数日前には午前1時を回ったところで布団に入りいざ寝ようと目をつぶってもいっこう眠れる気がしない。諦めて『燃えよ剣』を読み始めたら・・・朝の8時くらいになってしまった,という話。あまり(というかまったく)誉められたことではない。
その甲斐あって,おとついには読了。今までの「新選組」知識というかそれに対するイメージは,川原正敏『修羅の刻』(講談社コミックス)に負うところが大きかったのだけど,司馬遼太郎の「新選組」観が加わって,これまでも東京の土地の中では比較的馴染のあった甲州街道や今回引っ越してきて馴染になりつつある水戸街道の名が出てくるたびに,その世界への没入を助長してくれた。いつか必ず日野にある土方歳三資料館を訪れることを一人心に誓う。

さらには東日本大地震発生の数日前に『下流志向』も読了。現在の移動中用の本は牛島信明編訳『セルバンテス短篇集』(岩波文庫)。スペインで観た戯曲化された作品「ガラスの学士」を含み,今のところ「やきもちやきのエストレマドゥーラ人」と「愚かな物好きの話」を読み終えて思うことは,原文が軽快な文章で綴られていることはさることながら,日本語でもとても面白く読み進められるところに,訳者である故牛島先生の偉大さを今さらながらに再確認するのである。ところで,言葉に関して面白いなと思ったのは,「愚かな物好きの話」に登場する美しく貞淑な妻カミーラとその侍女レオネーラが,夫であり主人であるアンセルモの無二の親友ロターリオの人となりについて話し合っている折に,レオネーラが彼を次のように形容する件:
(...)だいいちロターリオ様は、立派な恋人ならそなえていなければならないと世間で言いならわされている四つのS(sabio 賢明な、solo ひとりで事を行う、solícito 熱意のある、secreto秘密を守る)ばかりか、ABC以下のすべての長所をすっかり揃えておいでなんですよ。まさか、とお思いなら、まあお聞き下さいな、わたくしそら、、で言えるんですから。あの方はね、わたくしがこの目で拝見し、判断するところでは、恩を忘れない(agradecido)、善良な(bueno)、礼儀正しい(caballero)、気前のよい(dadivoso)、ひたむきに恋する(enamorado)、意志の強固な(firme)、りりしい(gallardo)、高潔な(honrado)、卓越した(ilustre)、誠実な(leal)、若々しい(mozo)、気高い(noble)、正直な(onesto)、家柄のよい(principal)、資産家の(quantioso)、豊かな(rico)、Sはさっき言いましたわね、それから、口数の少ない(tácito)、信頼のおける(verdadero)、方なんです。Xは耳ざわりなきつい音ですから、あの方にはふさわしくなく、Yはもう言いました(音からしてYはIと同じということ)。それから最後のZは、奥様の名誉を熱心に監視する(zelador)方のZですわ。」[前掲書,p.137]
Xが「耳ざわり」で「きつい」音というあたりに日本語話者との音感の違いがありそう。ちなみに(少なくとも)スペイン語に特有の文字Ñから始まる語はないので,もちろんこの侍女の口からも出てこないのはしごく当然のことだが,JとUについては,確信はないがおそらく,前者はIの,後者はVの異形であっただろうという経緯から,言及されていないのだろうと考える。Wは「二重のV(だからUでもある)」なので,やはりVで代表されているのだろう。

寝読用にはスペイン留学の後半で途中まで読んでいて帰国を境に読みかけのままになっていたRoberto Bolaño, Los detectives salvajes (Anagrama)にすることに。といいながら,昨夜はおもむろにJ.L.ボルヘス『伝奇集』(鼓直訳,岩波文庫)を手にとってその「解説」を読んでしまった。
勉強用の『自然科学としての言語学』は,ノートにまとめながら読んでいることもあってやっと半分を過ぎたところ。これこそもっとスピードアップせねば。しかし,そのうち気になった箇所について書き連ねたいところでもある。

sábado, 19 de marzo de 2011

Sin más / ふと思い浮かんだ画

Capricho 43, El sueño de la razón produce monstruos
"El sueño de la razón produce monstruos" -- una obra de Francisco de Goya, Capricho nº 43, tomada de Wikimedia Commons.
...
Reinterpreto «El sueño de la razón» como «el despertar del pánico». Éste no tiene ningún aspecto bueno ni positivo.

jueves, 17 de marzo de 2011

Pasados 4 días desde el 11-m

Cito abajo casi todo lo que acabo de escribirles por correo-e a los compañeros del Laboratorio de Lingüística Informática de la UAM (con un poco de modificación del texto):
(...) la verdad es que lo peor de todo es por el nordeste del país como en Miyagi y Fukushima, que sufren más estragos por el terremoto y el tsunami (se considera que este causó daños al sistema de refrigeración de las centrales nucleares, por lo que se han producido una serie de accidentes nucleares informados hasta el presente. Pero según unos especialistas, se analiza que Fukushima no va a repetir la catástrofe de Chernóbil). A partir de esta noche en adelante, va hacer mucho más frío tanto en Tokio como en dichas regiones, en las que está nevando en este momento. Seguro que los refugiados están pasando momentos muy duros sin suficientes subsistencias, tales como agua, alimentos, calefacción, electricidad, medicamento, higiene, gasolina, etc. Su necesidad se detecta más en los sitios, instituciones, pueblos aislados a causa del corte de la comunicación como carreteras, telecomunicaciones.

En cambio, en Tokio en general, la vida va con alguna normalidad (claro está, aquí también siguen ocurriendo las réplicas a intervalos, pero no tan fuertes como el día 11, y algunas zonas suyas están afectadas por los apagones rotativos decretados por el Gobierno y, por consecuencia, por la reducción del servicio de transporte, tren y metro), sin embargo, está pasando un desastre secundario parcial debido a la demasiada preocupación por el asunto. Aunque se habla del civismo de la sociedad japonesa (p. ej., cfr. El País, 15/03/2011), quedaria cierta duda sobre una conclusión como la de que "en Japón no hay saqueos". La cosa es que en realidad hay algunos que hacen provisiones [acaparamiento] de subsistencias, pero excesivamente. Lo hacen "civilizadamente [cívicamente: KM. La idea tomada del prof. Yanagihara]" y, por tanto, no pocas veces no llegan a quienes las necesitan de verdad como la familia que tiene bebé, los ancianos que tienen cierta dificultad para el movimiento, etc. No tengo ninguna intención de criticar a estos ciudadanos que cometen "saqueos silenciosos", sino que entiendo muy bien que estamos bastante preocupados, inquietos por estas circunstancias críticas. Lo importante será, más bien, la mentalidad de "compartir entre todos lo que hay". En algún sentido, todos estamos sufriendos y bajo esta situación difícil --"la crisis o el catástrofe nacional", podríamos llamarla-- habrá que pensar en cómo reducir daños, aliviar el dolor para superar esta crisis nacional, nunca en satisfacer a todos (será imposible).

En cuanto al terremoto de anoche en Shizuoka, como la ciudad donde vive mi familia está relativamente lejos del cetnro sísmico, todos están bien, incluso mi hermano más pequeño, que en ese momento estaba con su novia (por cierto, se van a casar en mayo) por la ciudad de Fujinomiya, en la que se registró más de seis de intensidad en la escala japonesa.

Esperando que todo vaya volviendo a la normalidad poco a poco...

martes, 15 de marzo de 2011

La peor tragedia desde Hiroshima / 彼は我

スペイン語のタイトルはEl País紙14日付の記事の同タイトルから。

東北地方太平洋沖地震の発生から3日が過ぎた。備忘に初日のことを少々: 11日は昼前から浅草で寄席を聴いていたところ地震に遭遇。初めの揺れが収まって一度は劇場に戻ったものの,次の大きな揺れがきたときに外へ避難してそれきり劇場を後にした。喫茶店,バーミヤンと場所をかえながら情報収集とその後の行動に備えて腹ごしらえをして,公共交通機関がほぼマヒという状態が続いていたことから夜9時前に徒歩で帰宅することを決意。少し道を間違えながらもほぼ水戸街道(国道6号)沿いに歩いて2時間半くらいでアパートにたどり着く。途中でコンビニに寄ってホッカイロを買うついでにトイレにも行く。このとき,ファミレスに携帯電話を忘れてきたことに気づく(翌日の昼過ぎに無事取り戻す)。荒川を渡る橋を越えるときが寒さの最高潮だった。ともかく無事に帰宅した。しかし6号を離れるまでともに歩いて来ていた人の多くは,まだまだ先を目指しているようだった。その先の長さからか,途中で休憩している人の姿も。

その後,Facebookやメールなどでスペインの知人を含めた友人から安否確認のメッセージをもらう。気にかけてもらえてありがたいことだ。大学のスペイン語の友人たちの無事も今日まででほぼ確認できた。会社に泊まった者や3時間半かけて徒歩で帰宅した者もいた。福島(須賀川市)に引っ越したSちゃんは水が止まり,今日になって一時的にでもようやく出るようになったと聞く。さらに愕然とさせられたのが,わずか隣の県に住む者は,液状化現象を目の当たりにしているということ。電車で少し行った先には,土地が埋め立てでできているばかりに,非日常的な惨状が広がってるだなんて。

そしてその惨状は中心的被災地においてはなおのこと。東京の一地区に住む僕には,ほぼ日常とかわらない生活が戻りつつある。今日は久しぶりに日雇いバイトに出かけたが,行きも帰りも運のいいことに電車はさほどの遅れもなく乗ることができた。しかし,休憩中に見たテレビに映し出される非常事態がまぎれもない現在の日本が直面している国家的危機なのである。すでに二千人近くの人の死亡が確認されているという。行方不明者は数知れない。なんだかやりきれない気持ちでいっぱいになる。むしろいつもどおりの生活風景が違和感をもって立ち現れる。そうして帰宅してとあるリツイートから東京都知事の大震災に対するコメントを読んで,その見当違いな発言に憤りを感じる(アサヒ・コムの記事にもなっているとのこと)。そこには発言者本人の存在がカウントされていないようにすら感じられ,あたかも自分は「(我欲というアイデンティティーをもつという)日本人」ではないような物言いである。そしてこの天災を「天罰」と称したらしいのだが,この瞬間にも様々な方面で被災地の救援救助を行っている人々,復旧活動にあたっている人々を前にしてどうしたらそんなことが言えようか。

バイト先でのある人いわく,スーパーで品薄・売り切れ状態が続く中,お年寄りがわれ先にと商品を手にする姿を見たと。それを,さもしい老人だ,と非難するのであれば簡単なこと。問題はなぜそのように振る舞うのか・振る舞わざるをえないのか,だろう。震災による影響が直接の原因ではない。おそらく,周囲の空気が変な切迫感に包まれている,それがお互いに伝播してしまい焦燥感を駆り立てられ節度ある行動を妨げているのだと思う。元来,お年寄りは弱いものである(体力的には当然)。モノが少なくなって奪い合うまではいかなくとも足早に近づいてみなが必要とするモノが一気に買い上げられていくような状況を見せつけられれば,次に目にするのはそうした状況の目撃者による再生産の姿である。こういう事態だからこそ,「痛み分け」の精神が大切なのではと考えるのである。

この記事の日本語タイトルは,厄災を間接的に経験する被災地から離れた人心に焦燥感を植えつけたいわけではもちろんなく,寛容をもって弱きものの立場に寄り添いたいという想いからであり,たとえば村上春樹のエルサレム賞のスピーチ文を思い出すようなものである。

jueves, 10 de marzo de 2011

Instalado en Katsushika-ku / 引っ越しました。


Kameari / 亀有 (1)
Cargado originalmente por matsuken_flk

これももはや2週間以上前の話。
2月19日土曜。忘れ物をしたことで1時間遅れで実家を出発した引っ越し当日。車で両親とともに葛飾区を目指す。アパート付近でバンをレンタカーして金町駅にある仲介の不動産屋で鍵を受け取ると,浦安にある倉庫会社に3年半も預けっ放しにしていた荷物を引き取りに行き,積み込み,再びアパートで荷降ろしをして,とにかく移動移動の一日だった。駅周辺で度々道を間違えてたいへんだったけど,慣れない大きさの車にもとくに事故なく往復できてほっと一息。しかし国道6号の混みようにはうんざり。バレー部同期の功一くんにはそんな荷物の積み降ろしでたいへん助けられた。近くのしゃぶしゃぶ料理屋で労をねぎらって解散。
日曜は両親とともにお昼過ぎまで日用品の買い出しをして(カーテンや蛍光灯をそろえる),夕方から調布に住む弟くんのところへ向かう。環七を進むも途中で渋滞もあり2時間近くかかって到着。仙川駅にある焼肉屋で食事することになって,お店に入ると30分ほど待つとのことだったのでその間に弟と二人でコタツ布団を探しに出る。もう時機終わりということで亀有の某大型スーパーマーケット(旧IY)では手に入らなかったため。仙川はおしゃれな雑貨屋さんがいくつかあるのだけど,さすがにコタツ布団の取り扱いはしてないか時期的な問題でやはり見つからず,あきらめかけて最後に入った無印良品で色違いの2点が現品限りで残っていた。なんと7割引きで即購入(現在大活躍中)。焼肉も値段の割に質量ともあっぱれなお店で,たいへん美味しくいただきました。最後に銭湯に浸かって弟くんとお別れ。
明けて月曜。この日は実家から送った段ボールの荷物が朝に届けられることになっていたので,それを受け取ったらいよいよ部屋の中が段ボールの山に占領される。少し荷解きをして,買い物,昼食となんだかんだ両親に手伝ってもらい,金町駅そばにある区民事務所で転入届を出し終えたところで両親とお別れ。3日間もつきあっていただきたいへん助けられた。ありがとうございます。その後,なんとか17時前に亀有警察署で免許証記載事項変更届を済ませる。
火曜水曜と午前は日雇いバイトの登録会なぞに足を運ぶ。水曜午後は4月からの某非常勤先のO先生と同じ勤務先の同僚となるMさんとともに品川で2時間弱ほどお話し合いや打ち合わせ。そして夕方には内田樹x池田清彦トークショーを聞きに神保町へ。尊敬する内田先生の声は,想像よりも高音,というか澄んでさわやかに耳に響くものだった。持参した本(『街場のアメリカ論』。会場で購入しないですみません)にサインしてもらい,ミーハー心全開で相方さんとともに楽しかったねといいながらなか卯で食べて帰途につく。
木曜は一日久しぶりの労働@川口。
金曜は夜にKIFLのもと教え子7名と飲み会兼Jのアジア行送別会@上野。一次会終了後に残った4人で店をかえて朝まで過ごす。
土曜は研究会。と同時にわが新居では某3名によるプチ卒業旅行をかねた鍋パーティーが開かれていた(もとより家主は会場提供が主な仕事だからいてもいなくてもよいのである)。帰宅後に合流。今をときめく乙女たちとの束の間のおしゃべりに加えていただく。
翌日,亀有アリオでお昼を食べたりプリクラ撮影。
2月最後の日は夕方から肉体労働(というほどの力仕事でもないが)@豊洲辺り。まだまだ夜の冷え込みは厳しく,開けっ放しの倉庫はほぼ外気温そのまま。
3月3日ひな祭りにも夕方に同じバイトに出かける。一人従業員の方で昔どこかで会ったことがあるような気がしてしかたがなかったのだけど,ついに声をかけることなく仕事場を後に。日付が変わって帰宅後,アパートそばのスーパーで一つだけ残っていたちらし寿司をゲトしビールとともにいただく。
5日は上智大でスペイン語教育に関するシンポジウムに参加。その後打ち上げに繰り出すメンバーの方々を後ろ髪引かれる想いで見送り,亀有に戻って功一くんと飲む。辞令が出て九州に転勤になったとかで,せっかくご近所さんになったのも束の間,もうお別れ会気分である。
7日月曜は再び東京に雪が舞う,どころではなく軽く積もる程度にまで。Yさんと外大で会う約束も木曜に延期してもらい自宅待機の一日。午後には雨にかわる。
8日火曜は相方さんと近所の香取神社を訪れる。亀有が当初は「かめなし」(亀無,亀梨)と呼ばれていたという事実を知り二人で驚く。辺り一帯が亀甲の形を成していたことから(亀の形を成すで)「かめなし」だとか。鳥居の足元の両脇に置かれた狛犬ならぬ狛亀の表情がなかなか愛嬌があるので,思わず写真を撮る。ここにも「こち亀」の両さんがいるのだが,その写真はいずれ。

というわけで,とうとう亀有に引っ越してきたのである(住所は新宿と書いて「にいじゅく」だけど)。

ちなみに,引っ越し前に読み始めた『ソクラテスの弁明』は先月読了。新たに内田樹『下流志向』(講談社文庫)を移動中用に,司馬遼太郎『燃えよ剣』(新潮文庫)を寝酒ならぬ「寝読」用に,勉強として福井直樹『自然科学としての言語学―生成文法とは何か』(大修館書店)を読み始める。