¿De qué?

lunes, 23 de abril de 2012

映画DVD

このひと月の間でDVDを借りてわりと最近のスペイン語関連の映画を観たのでそのメモ。

『スパングリッシュ 太陽の国から来たママのこと』(ジェームズ・L・ブルックス監督,2004)
特典映像で監督自身が語っているように,なるほど道徳的で美しい映画である。それはとくにクラスキー家主人ジョンと家政婦のフロールの関係にみてとれる。あとこの二人がそれぞれの娘のことを心配して同じことを思う(思った)シーンがある。フロールの娘クリスティーナを上流階級の私立学校へ通わせるかどうかを巡って,もしそうなればヒスパニック(ラティーノ)の娘は浮いた存在になるか自分を隠して周りに同化してしまうのかを悩む母親。学校の勉強は落ちこぼれでも明るくて優しくて相手のことを思いやれる才能にひときわ長けてる娘が進学に際して同様の岐路に立たされ悩んだ父親。これは単に同じ個別的経験を超えた教訓があるように感じ取れた。そして,陰でこうした子に対する親心が描かれるので,妻の不倫を告白された夜に耐え切れず出て行ってその後(といってもせいぜい同じ夜が明ける前に)戻ってきた父と娘のやり取りや,いよいよ家政婦の仕事を辞めてクラスキー家を立ち去りバス停までの2キロの間に繰り広げられる母と娘のやり取りが,より引き立つのである。
ところでこの映画。主人公のフロールは家政婦だが,「料理」をする姿をとんと見かけない。彼女どころか「女性」が料理をするシーンがないように思う(例外は,最初の方でクラスキー家の娘バーニーが美味しいスイーツを作ってフロールと母のデボラがその味を褒めるシーンぐらいか)。むしろ料理をするのは男のジョンである(しかもその腕はアメリカで一流と評される)。

『テトロ 過去を殺した男』(原題Tetro,フランシス・フォード・コッポラ監督,2009)
舞台はアルゼンチンのブエノス・アイレス。緊張感のあるシーンから突然軽快な曲が使われ一転して画面の雰囲気が明るくなる(どころか,どこかコミカルなようにも映ってくる)。そんな場面がたびたびあるように思われる。それがなんだかコッポラ作品らしい気もする。終盤になって「テトロチーニ」から醸し出されるイタリア語的響きから,ああ,そういえば『ゴッドファーザー』もイタリア系マフィアだったなんてことが思い出される。当初,映画のタイトルになっている主人公テトロの弟とされるベニーことベンジャミンが水夫の恰好をして登場したり,他の登場人物の服装が少し前の時代のような感じに見えたことから物語の時代設定がよくわからなかったが,これは劇中で頻繁に利用されるモノクロ映像の影響が大きい。でも中盤でベニーが事故後の療養で世話になるアベラルドの家でテトロの昔の原稿に加筆している場面にノートPC(MacBook Airだ!)が登場するところからもそれは明らかだ。この瞬間の前後から,いろいろなところで現代的なモノが目につくようになった気がする(シトロエンの新しそうなモデルとか)。劇中劇として実際の作品らしきものが2回挿入されている。一度目はオペラ劇で二度目には同じオペラが使われているようだが作品自体はバレエ劇。「コッペリア」という作品らしく(一度目の劇中劇が始まる直前に,字幕には現れないがテトロが口にしている。二度目の挿入直前にはベニーが原稿を筆写すると同時につぶやいているし字幕にも出ている),とても印象に残る(おかげで観終わった後に何度も見比べ聴き比べてしまった)。これと並んで若かりし頃のテトロと父親のやりとりのシーンが回想ドラマとして複数回挿入されるが,画面の枠が若干小さくなってやはり劇中劇のような効果を出している。そして父と子の回想劇はついにバレエとなるに至る。
ヴィンセント・ギャロという俳優をそれと意識して観た初めての作品。うまく言葉にはできないが,とても味のある演技をする俳優さんだなといまさらながらに知る。ベニー役の俳優さん(アルデン・エーレンライク)は時折レオナルド・ディカプリオを彷彿とさせるような表情をみせる。個人的には«ディカプリオ×マット・デイモン÷2»のような顔だと分析するが,いかがであろうか。テトロが照明技師として働く劇場の運営をするホセの顔にどこかで見覚えがあると思いきや,『モーターサイクル・ダイアリーズ』でアルベルト・グラナードを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナであった。しかし両作品で同じような性格の人物(明るくてお調子者)となっているのはただの偶然だろうか。テトロの恋人を演じるマリベル・ベルドゥはよく見かけるなという印象をうける女優である。かといってけっしてたくさんの作品を見ているわけではないのだが,僕が知る限りでLos girasoles ciegos (『盲目のひまわりたち』,ホセ・ルイス・クエルダ監督),『パンズラビリンス』(ギリェルモ・デル・トロ監督),『天国の口、終わりの楽園。』(アルフォンソ・クアロン監督)に出演。
本映画はおととし2010年のラテンビート映画祭でも上映された模様。

4月13日(金)には葛西に出かけたついでに付近の店で『海を飛ぶ夢』と『ボルベール<帰郷>』を中古で買う。

lunes, 20 de febrero de 2012

葛飾在一年

引っ越してきて一年が経ったことに気づいた。たしか転入届は一年前の2月21日(と日記にある。備忘録だ)。
そんな今日は葛飾税務署へ。数年ぶりの確定申告に行ったというわけ。アパートから自転車で15分くらいの距離か、天気も良くて中川沿いを気持ちよくこいで行く。でも一箇所に印鑑を押し忘れたために二往復するはめに。無事に書類を出し終えたら、税務署からわりと近くにあった熊野神社をのぞいてみた。お参りも。小学生たちが境内やその前の道で遊んでいた。なかなかいい風景である。神社を出ると「子どもは家に帰りましょう」の有線が流れていた。Santuario Kumano / 熊野神社 (7)

domingo, 12 de febrero de 2012

安全は先払いされません

昨日、相方さまにスペインからちょっと遅いReyesからの贈り物が届いた、と聞かされた。その荷物に切手が貼り付けられていたのだが、その絵が面白い。ハンドルを握る手とともにもう片方の手には携帯電話(スマートフォンだ)が握られていて、その画面には次のような文字が見える: ¡Pierde la / llamada, / no la vida!
さらに切手の左肩には赤字で¡Atento / a la conducción!とあり、つまりは危険運転の防止を呼びかけるような内容になっているのだ。(画面に映るキャッチフレーズは「着信は逃しても命は手放すな!」といったところでしょうか。下の写真は後で相方さまから送っていただいたものを拝借。)
Atento a la conducción

あまりにもその切手の写真がほしくて、思わずググってみたら次のサイトを発見:
http://afng.org/index.php?pr=sellos_e2012

素晴らしい。すべての切手画像がそろっているわけではないのだけども、ここ3年ほどのスペインの切手情報が簡潔にまとめられている。これによると今回の荷物にあった切手は2012年1月9日に発行されたもので、画像も見れるようになっている。

ところで気になったのはこのサイトの名前。Asociación Filatélica y Numismática Guipuzcoanaとある。Guipuzcoaはバスク自治州にある県の一つなので、最後の一語はその形容詞でしょう。さて、わからない単語が二つ。filatélicaの語頭のfil-は、filosofía (philosophy)「哲学」のそれと同じで「愛すること」を意味するのだろうとの予測はつくけど、後半がまったくわからないので辞書に頼ると、filatécicoは「切手収集の,切手愛好の」(「切手収集」はfilatelia)、numismáticoは「古銭学の」とのこと(『西和中辞典 第二版』小学館)。
ここでさらに師匠からいただいた『ハンディ語源英和辞典』(小川芳男編、97版、有精堂、昭和52年)にあたると、philatelyの項に「切手収集(stamp-collecting). 〔ギリシア語philos loving + ateleia exemption from (further) tax 税金支払免除; 郵税を支払ってしまったので,すなわち切手を買ってしまったので無料配達されるもの→切手: 切手を愛すること〕」とある。"atelia"の部分についてはDRAE(オンライン版, s. v. filatelia)にも「ギリシャ語でα(αの上にアポストロフィー)τέλεια, exención de impuestosの意」とある。
じゃあ現代スペイン語にateliaのような語があるかというと、どうやらそれはなさそうである(少なくとも上のDRAEには記載なし)。

jueves, 9 de febrero de 2012

なんでもない一日の日記

けっきょく10時半ごろ起床。昨日の天気予報をみごとに裏切らんばかりの曇り空。洗濯をしながら朝食を済ませる。こんなどんよりした日は家に籠もっていてはまずい。ダークサイドに落ちそうだ(ただでさえ、昨日は深夜のポスト投函以外、一歩も外出しなかったし)。というわけで新宿図書センターへ勉強に。14時半ごろ、地下の食堂でほっけ定食をいただく。ここの食堂は久しぶりの利用だ。あいかわらず人は少ない(時間も時間だが)。食後にふらっと「語学」の書架を眺めようかと足を向けると、『スタジオジブリ絵コンテ全集』なんてのを発見。おもむろに『~7 紅の豚』の初めの数ページをペラペラ。す、すげえっす駿先生。そして村上龍の寄稿文も読む。なかなか面白い文章。「現実をなぞらない」(確かこんな感じのキーワードかと)。この人の小説も読んでみようかという気になった。さて、ようやく本命の「語学」書架へ。そういえば今読んでる論文にフィンランド語の例文が出てきたけどもしかして筆者はフィンランド人か、そういえばあの名前はなんて発音するのかな~とちょっと気になっていたので、白水社『エクスプレス』シリーズの村松一登『フィンランド語』(初版)を手に取る。なるほど。フィンランド語には母音の長短があって長母音の場合は短母音を2つならべて表記、さらにä, öはそれぞれ「aの口をしてe、oの口をしてeを発音する」ような音である、と。ということでにわかに覚えた知識でLiina Pylkkänen (論文の著者名)を反芻。いっちょ前に文法もサラッと見てやろうなんてしてたらあっという間に閉館時間がきてしまった。しかしスペイン語と比べて、(名詞・形容詞の)格変化の多さと動詞活用語尾のパタンの多さには少しハードルの高さを感じた(人称・数はあわせて6つ、時制は現在と過去の2つが扱われていた)。面白かったのは場所格で、「内格・出格・入格」と「接格・奪格・向格」が対立するような形で存在していること。その意味的特徴から前者は「内部格」、後者は「外部格」と呼ばれるそうな。そして「(人に関する)所有文」を表すのに«人[接格/奪格/向格] + BE動詞 + (所有物の)名詞»という構文になるということ。もう少し(ほんとうに少しだけ)詳しくは、著者のサイトを参照(ググって偶然見つけた):
・「フィンランド語の名詞の格」http://www.kmatsum.info/suomi/kieli/kielioppi/sijat.html
・「存在文・所有文」http://www.kmatsum.info/suomi/kieli/kielioppi/syntaksi/habeo.html

帰りがけにお気に入りの「八百久」へ立ち寄り、野菜と鶏肉を調達。荷物を置きがてら洗濯物を取り込み、アリオにでかける。今日はハッピーデイなのだ。そして収穫アリだオ。立春も過ぎたころに鍋、ゲトだぜ。実家にあるのと同じメーカーので一回り小さいサイズ(24か)が、なんと現品限りで1500円で。しかしお目当てのコーヒーミルは依然と入荷せず(というか入荷予定もないとかで、10日ほど前のおばちゃん、ウソやん)。家からネットで買いましたよ。最初からそうすればよかった。なぜそこに気づかない、おれ。夕飯はもちろん買ったばかりの鍋でなんちゃって石狩鍋。

martes, 7 de febrero de 2012

「プロフェッショナルを導いた言葉」より

「おまえが考える七割で良しとして、ほめてやれ」(経営者・星野佳路)から教育者としてのふるまいを学び、「得るは、捨つるにあり」(靴職人・山口千尋)から人生の岐路でのふるまいを学び、「型破りな演技は、型を知らずにはできない 型を知らずにやるのは、型なしというのだ」(歌舞伎俳優・坂東玉三郎)から語学の勉強におけるふるまいを学んだ。
そんな夜でした。

参考: 「言葉のチカラSP part2 (2012年2月6日放送)」『NHK プロフェッショナル 仕事の流儀』