¿De qué?

lunes, 11 de febrero de 2013

春の息吹を感じるころに

今更ですか,という作品だが以前から気になっていたし,公開一年後くらいのころ,マドリーにいてアジア系の友人宅で鑑賞会となったのだけど,何だったかは忘れたけどとにかく僕は最初の10分くらいを観たところで帰らないと行けない用事があったので,そのときは観れず仕舞い。そしてつい最近ちょっとしたときに話題に上がったので,そんなわけで久しぶりに邦画を,DVDで観た。

『おくりびと』(滝田洋二郎監督,2008年)
公式サイト http://www.okuribito.jp/

ので,以下あらすじ(ネタバレあり)とその雑感。

映画は物語の中盤のシーンから始まり,タイトルコールとともに物語の序盤に戻り話が展開して行く。主人公の小林大悟は,東京のあるオーケストラでチェロ奏者を務めるも突然楽団の解散を告げられ無職に。新調したばかりの楽器の借金1200万円だけが残る中,すでに他界している母が遺してくれた山形の実家へ妻とともに戻ることを決意する。そこであるとき,納棺業者の募集広告が目に留まる(広告には「安らかな旅のお手伝いをするお仕事です」とかなり遠回しにしか表現されていない)。さっそくこの会社,NKエージェントへ面接に伺うと,社長の佐々木にあっさりと,そして強引に採用にされてしまう(広告の文言はこの際に「安らかな旅立ちのお手伝い」と訂正され,社名のNKが"Noh Kan"だと告げられる)。これまで葬式にも出たことがない男にそんな仕事がろくに勤まるのか。そもそも表向きにはしづらい仕事で妻にさえ打ち明けられない。佐々木とともに納棺師としての仕事を通して人間の生と死の世界をつなぐ者の役割を自分なりに理解し受け入れていく。最後には,幼くして生き別れた父を「おくる」形で再会を果たし,これまでのわだかまりもとけ,新しい生命とともに新たな一歩を踏み出していくところで物語は幕を閉じる。

さて,観終わったところでちょっとググって次の座談会記事を見つける:
糸井重里・中沢新一・本木雅弘「死を想う」『ほぼ日刊イトイ新聞』 http://www.1101.com/okuribito/

いやあ,見事です。ここで語られているすべてが。僕のヘタな感想を読むよりはるかに価値があるので,映画と合わせてぜひとも一人でも多くの人に観て読んでいただきたいものです。さらに,脚本の小山薫堂もすごいなと,これも遅ればせながら認識しました。

そんなわけで,ヘタな感想も書く必要がなくなってしまったので,映画でとくに印象に残ったシーンについて触れておくに留めるにします。
場面は,主人公が納棺師の仕事に就いたことをずっと妻には隠していたのがついにバレてしまい,仕事を辞めなければ一緒には居られないと家を出て行かれてしまう。いざ退職の話を持ちかけようと社長室を訪ねた小林に,まあ飯でも食おうや,かみさんいなくてろくなモノ食ってないんだろう,と着席をうながしそこから続く社長・佐々木の台詞:
生き物が生き物を食って生きてる。
死ぬ気になれなきゃ食うしかない。食うんなら,うまい方がいい。
うまいんだよなあ。困ったことに。

その後のシーンで,クリスマス時期に社内でチキンを貪り食う三人(この会社,従業員は小林と事務員の上村の二人のみ)の姿は,それまでの度重なる死者との対峙という絵にこれでもかと生の側面を対比させるかのような描かれ方をしているように映った。肉にむしゃぶりつきながら小林と佐々木は互いに言葉を交わす——「うまいですねぇ」「困ったことに(笑)」。
・・・そうか。クリスマスなのだから,それも当然か。クリスマス(スペイン語でNavidad,nacimiento),「聖誕祭」である。イエスが「生まれる」日なのである。まさに「生」の,「生命」の,「いのち」の象徴ではないか。などと思ってみたり。

ところで,山形の田畑や大自然を背景にチェロを演奏するモックンは,三枚目(「ハンサム」ではない,という意味で)から言わせてもらうにあまりに格好よすぎるのである。ともかく,オススメの作品なのであります(今更ですが)。