そんなトクヴィルの偉大さを,内田センセは次のように述べている:
どうして、これほど時代を越えた汎用性を獲得しえたかというと、それは彼がその「アメリカ論」を「アメリカのことをほとんど何も知らない読者」」を想定して書いたからである。(中略)どこも同じような話題を同じような論調で表面的なことしか扱おうとしない(扱えない)昨今の日本のメディアに,以下の指摘を十分に噛みしめていただきたいと切に願う次第である:
だから、トクヴィルは噛んで含めるように書いている。そして、まさにその「噛んで含める」という点においてトクヴィルの批評性は際だつのである。「どなたもご存じないと思うので、一言でご説明すると・・・・・・」というのは「周知のように」というアプローチとはまったく逆のものである。「どなたもご存じないこと」を「一言で説明する」という仕事において、知性の質の差ははっきり現れる。
[同書,「あとがき」より,pp.262-263]
トクヴィルは百七十年後の読者にとっても示唆的な知見を述べているが、それは彼がアメリカン・デモクラシーの「本質とは何か?」という問いのみに思念を限定し、派生的な現実に興味をとどめなかったからである。つまり,「アメリカン・デモクラシー」の部分を取り上げようとするその「問題」に置き換えて行動してください,というお願いである。
[同書,「あとがき」より,pp.264]
最後に,本書の「文庫版のためのあとがき」にはそうした態度による著者なりの実践の片鱗が,「普天間基地の移転問題」という論件について,垣間見れることを記しておく(でも大筋はブログでも読んだ気が)。
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