¿De qué?

martes, 7 de diciembre de 2010

"Lo normal a nivel Nobel" / ノーベル賞級の「あたりまえ」

ニュースで日本人がノーベル化学賞を受賞することになったという話を知って,スペインではどう報道されているのかしらと思いエル・パイスのサイト探してみたところ,Kenzaburo Oéなる書き手の記事を発見することになって驚く。「ノーベル賞作家からノーベル賞作家への読み物」として,大江健三郎がこれから小説家の道を志す人に向けた,今年のノーベル文学賞受賞作家であるマリオ・バルガス=リョサの「すすめ」のようなものをつづっている。この人はスペイン語でもモノが書けるのか!とビックリしかけて文末をみるとちゃんと訳者が記されていた。ちなみにこの訳者は留学前に非常勤先の関係で数回お会いしたことがある方で,このような形での再会にも少々驚き。
訳文ということはその原文があるはずで,湖西の実家は中日新聞なのでとりあえずインターネットで見れないものかしらと探したら,とあるブログにそれと思しき記事を見つける。どうやら元の記事は朝日新聞に掲載されている月一連載「定義集」のものらしい(2010年11月16日付記事)。こういうところにネットのありがたみを感じる。ネット=不特定多数で構築・共有される情報のネットワークなのだ。といえば,最近ニュースを賑わせているウィキリークス。同日のエル・パイス紙の第一面は,米国の外交機密文書内で現スペイン政府内閣陣をどのように描写しているか,ということで飾られていた。
閑話休題。よく考えないでも,スペインでノーベル賞の話題といえばバルガス=リョサが第一に来るのは当然だった。でもそれを語るのにほかでもなく大江健三郎が選ばれたことを,今回のノーベル化学賞受賞者と結びつけることは強引過ぎるというものか。ところでこのニュースを聞いたとき,頭をよぎったのは今読んでいる本の次の件:
(…)世間ではノーベル賞級の学者を、「特別なことを考えた人」と思っているらしい。それを個性とか、独創性とかいう。でもノーベル賞に値する研究とは、他の学者が、
「あいつのいうことは変だ」
と思いながら、論文をよくよく読んでみると、
「なんだ、あいつのいうとおりじゃないか」
とわかったということである。それでなけりゃ、賞がもらえるはずがない。本当に個性的かつ独創的であるなら、だれにも理解できないはずだからである。それなら独創的とか個性的ではなくて、
「だれにでもわかること」
を述べただけではないか。つまり「あたりまえ」ということであろう。「とうていあたりまえとは思えない」ことを、じつは「あたりまえなんだよ」と説くことができると、ノーベル賞なのである。それがそう思えないのは、ふつうの世間の人たちこそ、まさに「個性的で独創的」だからであろう。世間の人は「あまりにも個性的、独創的」であるために、ノーベル賞級の「あたりまえ」を自分で思いつくことができないのである。さもなければ、そもそも「まったくなにも考えたことがない」ということにならざるをえない。
[養老孟司『無思想の発見』ちくま新書,pp.58-59]
これはあくまで,意識や「自己と他者」といった問題について述べている中での言及なのだけど,これを「世界文学(作家)」という文脈に置き換えて読むと,はたしてどうなるであろうか。

PD.
「定義集」の11月分が紹介されているブログはこちら→ http://himawari823.no-blog.jp/unchiku/2010/11/11_9672.html
エル・パイス掲載のスペイン語訳記事(2010年12月6日付)はこちら→ http://www.elpais.com/articulo/cultura/Vargas/Llosa/luz/literaria/elpepicul/20101206elpepicul_2/Tes

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