¿De qué?

martes, 28 de diciembre de 2010

ここ数日の私的本事情

昨日は久しぶりに大学へ行った。大学院時代のお友達でありスペインでも時機をほぼ同じくしてアルカラ・デ・エナーレス大学に留学していたYさんからちょっとしたお土産をいただくついでに図書館で勉強。のつもりがほぼコピーのみで終わってしまった。で,お土産のほかに本までいただいた: Fernando Lázaro Carreter, El nuevo dardo en la palabra (4.a ed., Santillana,2005)。
著者フェルナンド・ラサロ=カレテール(1923-2004)は現代スペイン語学界における権威の一人で,彼がエル・パイス紙に1999年から4年間連載した国語(つまりスペイン語)のさまざまな語句の使用について物申した記事のコンピレーション本である。僕はなかなかケチなのでこの本はスペインで買おうか迷ってやめたという経緯があるので,なおさらいただけて嬉しい。ありがとうございます。

夕方に図書館を追い出されたあと,味スタ駅近くのマックでお茶をしてYさんとお別れ。
国領駅近辺で夕食を済まして,お邪魔になっている弟宅にすぐに帰るのも何だったのでブック・オフを冷やかすことに。ついでに一冊購入: 内田樹『態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い』(角川oneテーマ21,2006)。
内田先生がいろいろな出版媒体に寄稿した30編以上のエッセイからなるコンピ本。奇しくも本日二冊目。

ところで,先週には相方さまから貴重な本をゆずってもらった: 泉井久之助『ラテン広文典(新装復刊)』(白水社,2005)。
今後,ラテン語からスペイン語への流れを勉強するときにぜひ傍において使わせていただきたい。ありがたや。堀井令知以という先生が書かれた帯文を以下に引用:
ラテン語の表現様式を、その構造の内部より解釈しつつ、機能的に解明しようとする行き届いた心遣いの学習書である。戦後まもなく泉井先生から教わったラテン語は、本書に見られるように、日本語を使用するわれわれの側から、ラテン人の意識をどのように理解するかに力点がおかれていたように思う。
とくに最後の件がいい。「ラテン人の意識をどのように理解するか」。こういうことをスペイン語でもしてみたいしそう努めているのであるが・・・。堀井先生があえて「ラテン人」という語を選択されたところもいい。ラテン語が話されていたローマ帝国時代に関係するといえばすることだが,ここ数日間弟宅でお邪魔している間に漫画『テルマエ・ロマエ I』(ヤマザキマリ著,エンターブレイン)を読ませてもらった。ローマ人・ルシウスの独り言による「平たい顔族」の観察がなんとも笑える。
さらに先週土曜に研究会にいくと,師匠から先月同様本をいただいた: 中村徳次『いんぐりっしゅ漫歩』(研究社,1996)。
主に,1994年から一年半くらい朝日新聞で連載された英語にまつわるコラムからなるコンピ本で,師匠の雑学ネタ本の一つということであるが,これを読みながら学部時代に聞いた授業の断片を思い出すのがひそかな楽しみ。
そして最近読み始めた本が,内田樹『街場のアメリカ論』(文春文庫,2010)。

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