¿De qué?

viernes, 11 de noviembre de 2016

今日は冷たい雨、もう冬なのか/9カ月と1日

いやはや、筆不精もここまでくるとあきれ返るしかない。
蓼科で夢のような夏休みを過ごしていたかと思ったら、あれよと言う間に研究会、そして1週間後には学会での発表がやってきて、その数週間前には後期授業も始まっていた。頭の中ではいろいろするべき準備を思い描いてはいたものの、そのほとんどは果たせずじまいとなった。ほろ苦い学会デブー(「デビュー」のスペイン語読み)ともなった。これは何とかして論文投稿で巻き返しを図りたいところである。

そんな父の不甲斐ない姿とは正反対に、愛娘は着実に成長をしていて、夏の半年の時点ではうつ伏せの状態から頭を高く上げて這う兆しを見せていたのが、今や格段の速さで居間から台所までの間を縦横無尽に這い回っている。目立った行動を書き留めておく。

  • ハイハイはずり這いの状態で、まだ腰は完全には浮かない。でも、止まった状態で腰を上げて前後に揺らすことはしばしば。この「練習」をしているときはだいたい、楽しそう。
  • ある程度の高さの障害(座布団1〜2枚くらい)は乗り越えて進んでいける。膝の上にもよじ登ってこようとする。
  • 物をつかむこともだいぶ進歩して、居間に吊るしてあるムーミンのモビールも、以前は「獲物」の焦点がなかなか定まらず何度か空振りしたのちに「捕獲」となっていたのが、今は手の運びもより確実になってきた。
  • つかんだ物は、もちろん口に入れるが、とくに最近はすぐに口に入れずにその前によく観察する仕草がある。紙などであれば表裏にクルクルと何度も返して、まずはよく眺めている風である。
  • そして口に入れたら、噛む。歯が、下の前歯2本だけでなく、上も前歯2本を確認できる。なので噛まれるとひじょうに痛い。授乳している妻の「苦痛」は計り知れない。僕の眼鏡もよく狙われ、すでに片側のレンズの一部は表面の加工が剥げてしまった。
  • 物をつかんでいてもそうではなくても、腕をブンブンとよく振るようになった。たまに、こちらに何かを合図しているかのようでとても愛くるしい。来客があって帰り際にこの仕草をしたものだから、「もうバイバイもできるのね」なんて場面もあった。この「素振り練習」をしているときも楽しそう。
  • いっときはヨダレを垂らすことが減ったかと思ったが、しゃべる(音声を発する)ことも頻繁になったこともあるだろうが、とにかくいろんなものを舐めるので、服などはおヨダでよく濡れるようになった。
  • 発声もだいぶ進んで、「あー、あー」と呼びかけるような声や「きゃーっ」という甲高い叫び声だけでなく、「にゃいにゃいにゃいにゃいにゃい」や「○×△※?!@*」といった具合になんとも文字には起こしづらいがしかし、もしかしたらじきに語になるんじゃないかという期待を起こさせる「しゃべり」が頻繁に聞かれるようになった。
  • 絵本を読むと、ある程度集中して聞いてくれるようになった。一緒に読んでいることが感じられることもしばしば。たとえば、『しろくまちゃんのほっとけーき』(わかやまけん、こぐま社)で、ホットケーキをフライパンで焼くくだりのとくに「ぴちぴちぴち」「ぷつぷつ」のところが面白いらしく、よく笑う。
  • 夏の終わりに白須賀に帰省して、そこから戻って「夏の旅行」にひとしきり区切りがついたところで、7カ月目を目前にして離乳食が始まった(妻にはいつも食事の支度をしてくれて本当に感謝)。最近は1日2回の頻度で食べていて、それもあってかとくにここ数日で便秘に悩まされる。ウンチがとても硬いらしく、自分で踏ん張るもかなり苦戦するようでなかなか出ない。昨晩は大泣きをしたのだ。

ひとまず思いつくままに書き出すとこんなところか。まだあったかもしれない。
とにかく、昨日で9カ月目を迎えたのだ。それだけ時間が経ったということだ。(しかし、この日の写真はない。今確認したら、最後に撮ったのは1週間ほど前だった。)

sábado, 20 de agosto de 2016

再び帰る/6カ月と9日

今日の夕方に蓼科から帰ってきた。
大ばあさまとお犬さまと、そして今シーズンから赤さんが加わった蓼科滞在は、いろいろと難しい局面に出くわして、保養になったのかどうかよくわからないというのが正直なところだ。
それでも昨日の白駒池へのお出かけと周辺のハイキングは、天気に恵まれたこともあって、とてもいいリフレッシュになった。サンティアゴ巡礼を思い出しながら歩いたりもしたが、ろくな靴を履いていなかったのが惜しいまれる。物事は形から、ではないが楽しむにも装備は大事である。いずれにしても妻の提案に感謝である。
また途中にある「麦草ヒュッテ」という山小屋がいい。帰りにはここでかき揚げそばをいただいて、目の前に広がる野草園を少し歩いてくつろいだ。

東京は暑い。が、夏なんだからこんなものだろうとは思う。確かに彼の地は涼しい。しかし湿気の多さは、その感じが違うにしても、変わらない。こう言うと負け惜しみに聞こえるだろうか。

さて愛娘の記録。今日までの目立ったこととしては、
  • 舌をベーっと前に出すことがある
  • 自分の足を、偶然に触れたからではなくて、自らつかもうとしてつかむ、また他のものもある程度しっかり長い時間つかめるようになってきた
  • 歯(下の前歯2本)が目で確認できるくらいに生えてきた
  • 甲高い声(奇声のようなもの)を出して叫ぶ
以上の4点をメモしておきたい。
そして最後の1点をして、彼女のことをたまに「恐竜さん」と呼ぶのであった。

lunes, 15 de agosto de 2016

帰る、そして戻る/6カ月と5日

先週12日金曜日にいったん蓼科から調布に帰った。ショートステイで預かってもらっていたおばあちゃんをお迎えに行くためだ。
もう記憶が定かではないが、10時半過ぎに出て、途中サービスエリアで一度休憩したのちに1過ぎには帰宅できたのではないか。道路が混んでいなくてよかったが、反対方面は渋滞だった。約束の時間には十分間に合うので、とりあえず車から荷物を降ろした。

さて、おばあさま。ステイの少し前から足が思うように動かなくなって、ステイ後も状態が変わらないか悪化していれば蓼科行きも諦めようと考えていたのだが、お迎えにあがると表情はわりと元気、歩行も以前よりは頼りないながらも少しは回復しているように見える。
かくして悩んだ挙句、また翌日から今度は4人と1匹で蓼科に戻ることに決めたのだ。

そんなわけで、土曜日は正午に再出発。
ひどい渋滞に見舞われることはなかったものの、釈迦堂サービスエリアくらいまでは入る少し手前で待機しなければいけないくらいには混雑していた。そして僕らもここで小休憩を取ることに。遺跡博物館が併設されているこのサービスエリアでは妻が草餅を手に入れて、別荘について荷物の搬入がひとしきり終わったところで一息つくのにお茶うけとしていただいた。これがとてもおいしくて、なにやら受賞するくらいのものだったらしい。少しググってみたらサービスエリアのおすすめ情報として取り上げられていた:
http://sapa.c-nexco.co.jp/sapanews?sapanewsid=3417

そして昨日の日曜日は昼過ぎから少しお出かけ。1年前にも訪れた鰻屋さんでお昼ご飯を食べて、その後はビーナスライン沿いのお店をいくつかはしごした。郭公のおばさまのところにも少し顔を出して、ついでに玄米や野菜を買う。

そしてそして愛娘。昨晩は8時過ぎに寝かしつけたら1時過ぎまでの間で1〜2時間おきに起きてしまって、今朝は大人が少々お疲れ。まだまだ赤ちゃんなのである。
そんな合間に浜松に住む弟夫婦が第2子を授かり12月に出産予定との知らせを受ける。めでたい話である。

viernes, 12 de agosto de 2016

人見知りならぬ羊または山羊見知り/6カ月と1日

日付が変わってしまったが昨日の記録。
「長門牧場」に行ってきたのだ。ここのアイスクリームがなかなかおいしくて、妻に教えられて知ったのだが、今回も「今日何しようね」と話していたら彼女が牧場行きを提案してくれたので、急に思い立って出かけたという次第。
ちなみに、自宅近くの八百屋というかスーパーでも売っているのだが、もう仕入れをやめてしまうらしい。

天気も良く、祝日でお盆休みに入ることもあって、蓼科には人が増えてきていた。牧場にもけっこうな人出で、お昼ご飯を食べるのに少し時間がかかったがそれでも首都圏の観光地の混みようと比べればだいぶましなものだろう。
この牧場はたくさんの施設があるわけではなく、牧草地が広がる中にレストハウスが一棟立つくらいで、とても開放的でのどかなところがよい。いわゆる「観光牧場」ではないのだ。乳牛が多くいるほか、馬や数頭の羊、山羊、そしてアルパカがいた(これは観光用ですかね)。

さて愛娘。これらの動物の近くに寄って一緒に写真に収めようとすると、いぶかしげな表情から徐々に泣きそうな顔になってしまった。最近になって、人見知りが始まったかと思わせるような出来事があったので、もしかしてそれに準じて「動物見知り」なのか。
場内には木立も少なかったので、日焼けが気になった。もちろん、自分のではない。

miércoles, 10 de agosto de 2016

クレープではない、ガレットだ/6カ月と0日

今日は蓼科3日目。
こちらに来ると妻がきまって訪れているお気に入りのお店が何軒かある。その一つが無農薬野菜を店主自らが栽培して販売する「郭公」だ。

午後1時半頃お店に行くと、主のおばちゃんが数人のお客さんとお話ししていた。店先に出している野菜たちはけっこう売れてしまっていて、もう少し早くに来なければいけなかったと反省。ズッキーニとピーマン、ニンニクを買う。そして僕は自分用にシシトウを。これを「パドロン・ピーマン(pimiento de Padrón:スペイン・ガリシア地方の名物)」もどきにして食べることに去年味をしめたのだ。すると、明日は売らないからと残っている分は全部あげると言われてしまって、でも手間暇かけて作っている人からただでもらうわけにわいかないと思い、やはりただにしてくれたズッキーニの分と合わせてこっそり料金箱にお代を入れておく。

先客が帰った後でしばしおばちゃんとおしゃべり。冷たいお茶とブルーベリーをいただきながら、僕も話の輪の中に加わる。なんでも、数年前に開館したという「満蒙開拓平和記念館」を最近訪れてきたそうで、そこで手に入れてきた書籍やパンフレットを見せてもらいながら、今の日本が再び戦争へと向かうのではないかと危惧していること、現政権の暴走・暴挙とそれを支持する一定多数の国民がいる現実を憂慮していることなど、いろいろな感情を共有した。

このあと、昨日行くと決めていた、本場フランスのガレットを出すお店
「レ・スリズィエ」に遅いお昼を食べに行く。これが本当に本当においしくて、オーナーシェフに「記憶に残る味です」と率直な感想をお伝えする。お店も素敵で、店内に入ると正面に本棚があって書籍がジャンルを問わず並んでいる。左手にはソファーなどが置いてあり、くつろげる空間になっている。店外には3年前に製作を始めたというお庭があって、まだまだ完成には程遠いそうだが、とても感じのいいお庭になるであろう雰囲気が今からでも伝わってくるのが不思議。

食後に御射鹿池に立ち寄った。画家の東山魁夷(これで「かいい」というお名前だそうな)が描いた『緑響く』という作品でも有名だとは妻の話。今の時期は木々の新緑が水面に映えて美しい。去年は池のほとりまで降りて行けたのだが、今は立ち入り禁止になっている。付近の道路は拡張工事の途中にあって、観光と保護の間で揺れるご当地の思いを見るようだった。

さて、愛娘は今日で6カ月の節目を迎えた。
といっても、今日にいきなりできるようになったことがあるわけではなく、ひと月以上前から自分の指(ときには手全体)をよく舐めるようになったのだが、これがそろそろ他の物か何かに取って代わるといいなと思う次第。
ハイハイはまだしないものの、仰向けの状態から自分で回転してうつ伏せになって、頭を高くあげるのはだいぶお手の物になった。ここからうまく進んで行けるといいね。がんばれ。

[2016.8.12追記]

遅すぎた再開

なんと最後の投稿から3年半が過ぎようとしている。
ここで長い活動休止に「終止符を打つ」ことになるのだけども、それにはこの間にいろいろとあった「人生の出来事」の中でも最大級の喜びがちょっとした節目を迎えることが大きな理由だ。

今年の2月10日に子どもが生まれた。女の子である。それこそ彼女が生まれてくる前にはこのブログを成長記録の場にしようと目論みてはいたものの、グズな父親にはそれが果たせず、そうする間にも健やかに育っていく愛娘は今日でちょうど生後半年を迎えるのだ。6カ月だ。

現在の段階までで、高い声を発して何やら叫んだり、周囲の物事や出来事に長めに注意を向けたり、うつ伏せの状態では片肘と片手で支えながら頭を上げることもしたり、そして何より大きな変化はメリー(床に置くタイプ)のおもちゃを自ら握るようになってきている。これが最近で最も嬉しい変化でもある。

そして最近になってようやく、「かわいいなあ」とそんな思いをとくに強く抱くようになってきて、かといって父親としの自覚があるのかというとそれは甚だ疑問である。そして反対に、飼い犬のことがあまりかわいく思えない今日この頃でもある。なかなか難しいものだし、不思議なことだ。

昨日(日付は2日前)から、夏に恒例の蓼科に来ている。娘は1年前は母親のお腹の中からのぞいて見ていたのが今や直にいろいろ見ているのだなと、一体何を思うのかと考えると面白い。東京と比べたときの自然環境の良さも実感しているのか、夜の寝つきはいいようだ。なんといっても涼しい。今回はひとまず、おばあさま抜きで木曜か金曜まで滞在する予定である。

同居の「彼女」が4人になったのだと、今ふと思った。あまり長く書くと先が続かないから、今日のところはこの辺で、「活動再開」のしるしとする。

lunes, 11 de febrero de 2013

春の息吹を感じるころに

今更ですか,という作品だが以前から気になっていたし,公開一年後くらいのころ,マドリーにいてアジア系の友人宅で鑑賞会となったのだけど,何だったかは忘れたけどとにかく僕は最初の10分くらいを観たところで帰らないと行けない用事があったので,そのときは観れず仕舞い。そしてつい最近ちょっとしたときに話題に上がったので,そんなわけで久しぶりに邦画を,DVDで観た。

『おくりびと』(滝田洋二郎監督,2008年)
公式サイト http://www.okuribito.jp/

ので,以下あらすじ(ネタバレあり)とその雑感。

映画は物語の中盤のシーンから始まり,タイトルコールとともに物語の序盤に戻り話が展開して行く。主人公の小林大悟は,東京のあるオーケストラでチェロ奏者を務めるも突然楽団の解散を告げられ無職に。新調したばかりの楽器の借金1200万円だけが残る中,すでに他界している母が遺してくれた山形の実家へ妻とともに戻ることを決意する。そこであるとき,納棺業者の募集広告が目に留まる(広告には「安らかな旅のお手伝いをするお仕事です」とかなり遠回しにしか表現されていない)。さっそくこの会社,NKエージェントへ面接に伺うと,社長の佐々木にあっさりと,そして強引に採用にされてしまう(広告の文言はこの際に「安らかな旅立ちのお手伝い」と訂正され,社名のNKが"Noh Kan"だと告げられる)。これまで葬式にも出たことがない男にそんな仕事がろくに勤まるのか。そもそも表向きにはしづらい仕事で妻にさえ打ち明けられない。佐々木とともに納棺師としての仕事を通して人間の生と死の世界をつなぐ者の役割を自分なりに理解し受け入れていく。最後には,幼くして生き別れた父を「おくる」形で再会を果たし,これまでのわだかまりもとけ,新しい生命とともに新たな一歩を踏み出していくところで物語は幕を閉じる。

さて,観終わったところでちょっとググって次の座談会記事を見つける:
糸井重里・中沢新一・本木雅弘「死を想う」『ほぼ日刊イトイ新聞』 http://www.1101.com/okuribito/

いやあ,見事です。ここで語られているすべてが。僕のヘタな感想を読むよりはるかに価値があるので,映画と合わせてぜひとも一人でも多くの人に観て読んでいただきたいものです。さらに,脚本の小山薫堂もすごいなと,これも遅ればせながら認識しました。

そんなわけで,ヘタな感想も書く必要がなくなってしまったので,映画でとくに印象に残ったシーンについて触れておくに留めるにします。
場面は,主人公が納棺師の仕事に就いたことをずっと妻には隠していたのがついにバレてしまい,仕事を辞めなければ一緒には居られないと家を出て行かれてしまう。いざ退職の話を持ちかけようと社長室を訪ねた小林に,まあ飯でも食おうや,かみさんいなくてろくなモノ食ってないんだろう,と着席をうながしそこから続く社長・佐々木の台詞:
生き物が生き物を食って生きてる。
死ぬ気になれなきゃ食うしかない。食うんなら,うまい方がいい。
うまいんだよなあ。困ったことに。

その後のシーンで,クリスマス時期に社内でチキンを貪り食う三人(この会社,従業員は小林と事務員の上村の二人のみ)の姿は,それまでの度重なる死者との対峙という絵にこれでもかと生の側面を対比させるかのような描かれ方をしているように映った。肉にむしゃぶりつきながら小林と佐々木は互いに言葉を交わす——「うまいですねぇ」「困ったことに(笑)」。
・・・そうか。クリスマスなのだから,それも当然か。クリスマス(スペイン語でNavidad,nacimiento),「聖誕祭」である。イエスが「生まれる」日なのである。まさに「生」の,「生命」の,「いのち」の象徴ではないか。などと思ってみたり。

ところで,山形の田畑や大自然を背景にチェロを演奏するモックンは,三枚目(「ハンサム」ではない,という意味で)から言わせてもらうにあまりに格好よすぎるのである。ともかく,オススメの作品なのであります(今更ですが)。

lunes, 23 de abril de 2012

映画DVD

このひと月の間でDVDを借りてわりと最近のスペイン語関連の映画を観たのでそのメモ。

『スパングリッシュ 太陽の国から来たママのこと』(ジェームズ・L・ブルックス監督,2004)
特典映像で監督自身が語っているように,なるほど道徳的で美しい映画である。それはとくにクラスキー家主人ジョンと家政婦のフロールの関係にみてとれる。あとこの二人がそれぞれの娘のことを心配して同じことを思う(思った)シーンがある。フロールの娘クリスティーナを上流階級の私立学校へ通わせるかどうかを巡って,もしそうなればヒスパニック(ラティーノ)の娘は浮いた存在になるか自分を隠して周りに同化してしまうのかを悩む母親。学校の勉強は落ちこぼれでも明るくて優しくて相手のことを思いやれる才能にひときわ長けてる娘が進学に際して同様の岐路に立たされ悩んだ父親。これは単に同じ個別的経験を超えた教訓があるように感じ取れた。そして,陰でこうした子に対する親心が描かれるので,妻の不倫を告白された夜に耐え切れず出て行ってその後(といってもせいぜい同じ夜が明ける前に)戻ってきた父と娘のやり取りや,いよいよ家政婦の仕事を辞めてクラスキー家を立ち去りバス停までの2キロの間に繰り広げられる母と娘のやり取りが,より引き立つのである。
ところでこの映画。主人公のフロールは家政婦だが,「料理」をする姿をとんと見かけない。彼女どころか「女性」が料理をするシーンがないように思う(例外は,最初の方でクラスキー家の娘バーニーが美味しいスイーツを作ってフロールと母のデボラがその味を褒めるシーンぐらいか)。むしろ料理をするのは男のジョンである(しかもその腕はアメリカで一流と評される)。

『テトロ 過去を殺した男』(原題Tetro,フランシス・フォード・コッポラ監督,2009)
舞台はアルゼンチンのブエノス・アイレス。緊張感のあるシーンから突然軽快な曲が使われ一転して画面の雰囲気が明るくなる(どころか,どこかコミカルなようにも映ってくる)。そんな場面がたびたびあるように思われる。それがなんだかコッポラ作品らしい気もする。終盤になって「テトロチーニ」から醸し出されるイタリア語的響きから,ああ,そういえば『ゴッドファーザー』もイタリア系マフィアだったなんてことが思い出される。当初,映画のタイトルになっている主人公テトロの弟とされるベニーことベンジャミンが水夫の恰好をして登場したり,他の登場人物の服装が少し前の時代のような感じに見えたことから物語の時代設定がよくわからなかったが,これは劇中で頻繁に利用されるモノクロ映像の影響が大きい。でも中盤でベニーが事故後の療養で世話になるアベラルドの家でテトロの昔の原稿に加筆している場面にノートPC(MacBook Airだ!)が登場するところからもそれは明らかだ。この瞬間の前後から,いろいろなところで現代的なモノが目につくようになった気がする(シトロエンの新しそうなモデルとか)。劇中劇として実際の作品らしきものが2回挿入されている。一度目はオペラ劇で二度目には同じオペラが使われているようだが作品自体はバレエ劇。「コッペリア」という作品らしく(一度目の劇中劇が始まる直前に,字幕には現れないがテトロが口にしている。二度目の挿入直前にはベニーが原稿を筆写すると同時につぶやいているし字幕にも出ている),とても印象に残る(おかげで観終わった後に何度も見比べ聴き比べてしまった)。これと並んで若かりし頃のテトロと父親のやりとりのシーンが回想ドラマとして複数回挿入されるが,画面の枠が若干小さくなってやはり劇中劇のような効果を出している。そして父と子の回想劇はついにバレエとなるに至る。
ヴィンセント・ギャロという俳優をそれと意識して観た初めての作品。うまく言葉にはできないが,とても味のある演技をする俳優さんだなといまさらながらに知る。ベニー役の俳優さん(アルデン・エーレンライク)は時折レオナルド・ディカプリオを彷彿とさせるような表情をみせる。個人的には«ディカプリオ×マット・デイモン÷2»のような顔だと分析するが,いかがであろうか。テトロが照明技師として働く劇場の運営をするホセの顔にどこかで見覚えがあると思いきや,『モーターサイクル・ダイアリーズ』でアルベルト・グラナードを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナであった。しかし両作品で同じような性格の人物(明るくてお調子者)となっているのはただの偶然だろうか。テトロの恋人を演じるマリベル・ベルドゥはよく見かけるなという印象をうける女優である。かといってけっしてたくさんの作品を見ているわけではないのだが,僕が知る限りでLos girasoles ciegos (『盲目のひまわりたち』,ホセ・ルイス・クエルダ監督),『パンズラビリンス』(ギリェルモ・デル・トロ監督),『天国の口、終わりの楽園。』(アルフォンソ・クアロン監督)に出演。
本映画はおととし2010年のラテンビート映画祭でも上映された模様。

4月13日(金)には葛西に出かけたついでに付近の店で『海を飛ぶ夢』と『ボルベール<帰郷>』を中古で買う。

lunes, 20 de febrero de 2012

葛飾在一年

引っ越してきて一年が経ったことに気づいた。たしか転入届は一年前の2月21日(と日記にある。備忘録だ)。
そんな今日は葛飾税務署へ。数年ぶりの確定申告に行ったというわけ。アパートから自転車で15分くらいの距離か、天気も良くて中川沿いを気持ちよくこいで行く。でも一箇所に印鑑を押し忘れたために二往復するはめに。無事に書類を出し終えたら、税務署からわりと近くにあった熊野神社をのぞいてみた。お参りも。小学生たちが境内やその前の道で遊んでいた。なかなかいい風景である。神社を出ると「子どもは家に帰りましょう」の有線が流れていた。Santuario Kumano / 熊野神社 (7)

domingo, 12 de febrero de 2012

安全は先払いされません

昨日、相方さまにスペインからちょっと遅いReyesからの贈り物が届いた、と聞かされた。その荷物に切手が貼り付けられていたのだが、その絵が面白い。ハンドルを握る手とともにもう片方の手には携帯電話(スマートフォンだ)が握られていて、その画面には次のような文字が見える: ¡Pierde la / llamada, / no la vida!
さらに切手の左肩には赤字で¡Atento / a la conducción!とあり、つまりは危険運転の防止を呼びかけるような内容になっているのだ。(画面に映るキャッチフレーズは「着信は逃しても命は手放すな!」といったところでしょうか。下の写真は後で相方さまから送っていただいたものを拝借。)
Atento a la conducción

あまりにもその切手の写真がほしくて、思わずググってみたら次のサイトを発見:
http://afng.org/index.php?pr=sellos_e2012

素晴らしい。すべての切手画像がそろっているわけではないのだけども、ここ3年ほどのスペインの切手情報が簡潔にまとめられている。これによると今回の荷物にあった切手は2012年1月9日に発行されたもので、画像も見れるようになっている。

ところで気になったのはこのサイトの名前。Asociación Filatélica y Numismática Guipuzcoanaとある。Guipuzcoaはバスク自治州にある県の一つなので、最後の一語はその形容詞でしょう。さて、わからない単語が二つ。filatélicaの語頭のfil-は、filosofía (philosophy)「哲学」のそれと同じで「愛すること」を意味するのだろうとの予測はつくけど、後半がまったくわからないので辞書に頼ると、filatécicoは「切手収集の,切手愛好の」(「切手収集」はfilatelia)、numismáticoは「古銭学の」とのこと(『西和中辞典 第二版』小学館)。
ここでさらに師匠からいただいた『ハンディ語源英和辞典』(小川芳男編、97版、有精堂、昭和52年)にあたると、philatelyの項に「切手収集(stamp-collecting). 〔ギリシア語philos loving + ateleia exemption from (further) tax 税金支払免除; 郵税を支払ってしまったので,すなわち切手を買ってしまったので無料配達されるもの→切手: 切手を愛すること〕」とある。"atelia"の部分についてはDRAE(オンライン版, s. v. filatelia)にも「ギリシャ語でα(αの上にアポストロフィー)τέλεια, exención de impuestosの意」とある。
じゃあ現代スペイン語にateliaのような語があるかというと、どうやらそれはなさそうである(少なくとも上のDRAEには記載なし)。

jueves, 9 de febrero de 2012

なんでもない一日の日記

けっきょく10時半ごろ起床。昨日の天気予報をみごとに裏切らんばかりの曇り空。洗濯をしながら朝食を済ませる。こんなどんよりした日は家に籠もっていてはまずい。ダークサイドに落ちそうだ(ただでさえ、昨日は深夜のポスト投函以外、一歩も外出しなかったし)。というわけで新宿図書センターへ勉強に。14時半ごろ、地下の食堂でほっけ定食をいただく。ここの食堂は久しぶりの利用だ。あいかわらず人は少ない(時間も時間だが)。食後にふらっと「語学」の書架を眺めようかと足を向けると、『スタジオジブリ絵コンテ全集』なんてのを発見。おもむろに『~7 紅の豚』の初めの数ページをペラペラ。す、すげえっす駿先生。そして村上龍の寄稿文も読む。なかなか面白い文章。「現実をなぞらない」(確かこんな感じのキーワードかと)。この人の小説も読んでみようかという気になった。さて、ようやく本命の「語学」書架へ。そういえば今読んでる論文にフィンランド語の例文が出てきたけどもしかして筆者はフィンランド人か、そういえばあの名前はなんて発音するのかな~とちょっと気になっていたので、白水社『エクスプレス』シリーズの村松一登『フィンランド語』(初版)を手に取る。なるほど。フィンランド語には母音の長短があって長母音の場合は短母音を2つならべて表記、さらにä, öはそれぞれ「aの口をしてe、oの口をしてeを発音する」ような音である、と。ということでにわかに覚えた知識でLiina Pylkkänen (論文の著者名)を反芻。いっちょ前に文法もサラッと見てやろうなんてしてたらあっという間に閉館時間がきてしまった。しかしスペイン語と比べて、(名詞・形容詞の)格変化の多さと動詞活用語尾のパタンの多さには少しハードルの高さを感じた(人称・数はあわせて6つ、時制は現在と過去の2つが扱われていた)。面白かったのは場所格で、「内格・出格・入格」と「接格・奪格・向格」が対立するような形で存在していること。その意味的特徴から前者は「内部格」、後者は「外部格」と呼ばれるそうな。そして「(人に関する)所有文」を表すのに«人[接格/奪格/向格] + BE動詞 + (所有物の)名詞»という構文になるということ。もう少し(ほんとうに少しだけ)詳しくは、著者のサイトを参照(ググって偶然見つけた):
・「フィンランド語の名詞の格」http://www.kmatsum.info/suomi/kieli/kielioppi/sijat.html
・「存在文・所有文」http://www.kmatsum.info/suomi/kieli/kielioppi/syntaksi/habeo.html

帰りがけにお気に入りの「八百久」へ立ち寄り、野菜と鶏肉を調達。荷物を置きがてら洗濯物を取り込み、アリオにでかける。今日はハッピーデイなのだ。そして収穫アリだオ。立春も過ぎたころに鍋、ゲトだぜ。実家にあるのと同じメーカーので一回り小さいサイズ(24か)が、なんと現品限りで1500円で。しかしお目当てのコーヒーミルは依然と入荷せず(というか入荷予定もないとかで、10日ほど前のおばちゃん、ウソやん)。家からネットで買いましたよ。最初からそうすればよかった。なぜそこに気づかない、おれ。夕飯はもちろん買ったばかりの鍋でなんちゃって石狩鍋。

martes, 7 de febrero de 2012

「プロフェッショナルを導いた言葉」より

「おまえが考える七割で良しとして、ほめてやれ」(経営者・星野佳路)から教育者としてのふるまいを学び、「得るは、捨つるにあり」(靴職人・山口千尋)から人生の岐路でのふるまいを学び、「型破りな演技は、型を知らずにはできない 型を知らずにやるのは、型なしというのだ」(歌舞伎俳優・坂東玉三郎)から語学の勉強におけるふるまいを学んだ。
そんな夜でした。

参考: 「言葉のチカラSP part2 (2012年2月6日放送)」『NHK プロフェッショナル 仕事の流儀』

sábado, 17 de diciembre de 2011

Frío invernal / 寒さに震える、これすなわち震寒といふなり?

最近、Dropboxを導入してすごく重宝している。調子に乗って日中にiPhoneで書き留めたメモを日記として久しぶりにここに記す。(9月末以来だから2カ月以上ぶりですね。)

学院の授業は今月始めで終わってるので、お昼を町田で済ませたあとは夕方からのスペイン語教育研究会に出るため上智大学に直行。
10号館にベレン人形belénが飾られてると、ついさっきゲトした情報を頼りに、まずは正門からその方を目指すと途中でなにやら古本が並べられているではないか。どうもチャリティーバザーといった風で一角には小物類もある。無論しばし寄り道して物色する。なんとソフトカバーの本は全て200円とのことだったので、とうに本棚には到底収まり切らない本が積まれた部屋と相談して絞りに絞った次の三冊を購入:

-- Berger, Frances de Talevera (1990): ¡Mierda! The real Spanish you were never taught in school, New York, Plume.
-- Manteca Alonso-Cortés, Ángel (1981): Gramática del subjuntivo, Madrid, Cátedra.
-- Sperber, Dan & Deirdre Wilson (1995): Relevance. Communication and Cognition, Second edition, Oxford, Blackwell.

ちょうど一週間前は、月一の研究会以外で久しぶりに外大に行って、そのときには渡辺万里 (2010)『スペインの竈から―美味しく読むスペイン料理の歴史』現代書館なんて本を気まぐれに買った。寝読で読みたいのだけど、まだ先客(清水憲男(1990)『ドン・キホーテの世紀』岩波書店)を接待中なので、しばらくはお預けなのである。

研究会から家に帰ると22時過ぎ。今夜は寒さが一段と身にしみる。そうこうしているうちに、来週にはもう冬至なのである。闇が占める時間が頂点を迎えるのを境に、ふたたび陽の当たる時間が徐々に増していく。自分の研究ペースもそれと呼応するように進めていきたいところなのだが、はたして。

jueves, 22 de septiembre de 2011

"¡Odaiba (Tokio) se convierte en México!"「お台場がメキシコになる!」, del 23 al 25 de septiembre de 2011

「フィエスタ・メヒカーナ2011(第12回)」の告知・宣伝である。
ひょんなことから運営ボランティアスタッフとして参加することになったので。
詳しくは上記のリンク先を参照してください。歌あり踊りあり民芸品あり,そしてなんといってもたくさんのメキシコ料理とビールありですので,ぜひ遊びに来てくださいね。

さて,昨日は台風で後期授業初日が休講に。大学に向かう途中で教務の方からその旨のご連絡をいただいたのだが,ひとまずそのまま大学に足を運んだ。メールボックスをチェックしていたら学生が一人,集中講義スペイン語の課題を出しに来てくれた。お返しに「フィエスタ」の案内チラシをあげる。
野暮用で青砥さんの研究室を挨拶がてらに訪れると,相澤正雄・青砥清一『アルフォンソ十世賢王の七部法典 第一部第四篇(スペイン王立アカデミー1807年版) 逐文対訳試案、その道程と訳註』(私家版,2011)青砥清一(編著)『スペイン語検定対策3級問題集(CD付)』(白水社,2011)の二冊をご恵贈いただく。

さかのぼって月曜の昼には大学学生ボランティアグループと「フィエスタ」実行委員の方との打ち合わせに参加。その折に柳沼先生から国本伊代(編著)『エリアスタディーズ91 現代メキシコを知るための60章』(明石書店,2011)をご恵贈いただいた。日墨政府間の交換留学制度(当時は「日墨研修生・学生等交流計画」という名称も昨年から「日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画」となり,内用の若干変更された模様。応募資格の年齢の下限が「22歳以上」と引き上げられたことは残念の一言)で2001年にメキシコを訪れた以来となってる身としては,去年の2010年に独立運動勃発から200年目,メキシコ革命勃発から100年目という節目にあって同国にて盛大な記念行事が催された様子が,表裏の表紙やその折り返しに写真で紹介されているのを見れるだけでも嬉しい。
今回の「フィエスタ」ボランティアが,ある意味でこの留学に対する恩返しの一つになれば幸い。

ところで勉強用に今井むつみ・針生悦子『レキシコンの構築――子どもはどのように語と概念を学んでいくか』(岩波書店,2007)を読んでいるところ。その関連で今井むつみ『ことばと思考』(岩波新書,2010)をインターネットで購入。博論執筆は進んでいない。
しかしそんなことをよそに,師匠からは毎週の出講日や研究会などで会うたびにいろいろな本をいただいているので,そのリストも作りたい誘惑でいっぱいな今日この頃。

viernes, 5 de agosto de 2011

いろんな感動,一つの自己嫌悪

8月3日(水)。 『コクリコ坂から』(宮崎五郎監督,2011)を作品の舞台である横浜で観てきた。しかも映画にも登場する桜木町駅そばの映画館で。現在の横浜に劇中の町並みや風景を見て取ることはもはや難しいのだけど,それでもいいものである。桜木町駅構内には駅舎の変遷をたどる写真が飾られていて,映画を観る前からなんだかもう物語が始まっているような気分になった。物語は女主人公の海(メル)が朝食の支度をする場面から始まり,途中彼女が通う高校の洋風建築物を大掃除する場面が一つの山場となっている。それらを観て,これはまさに内田センセが指摘する村上春樹の文学の世界性である「料理と掃除」ではないですかと,一人感激するとともに,宮崎五郎監督は,いくら周りにネガティブな批判をする者がいたとしても,「世界のジブリ」の一翼を担うために正しい道を歩んでおられるのでしょうと確信もするのであった。

ところで,一つ大きな見間違いをしていたことに家に帰って気づいた。作品の中で一つの物語のカギを握る,先に触れた洋風建築物であり文化部部室棟である「カルチェラタン」。この名前が文字として何度か画面に出るのだけど,その際になぜだかCartier Latinと終始僕の目には映っていたという話。正しい綴りはQuartier Latin。フランス語。「ラテン語の地区」というのが直訳。フランスはパリの5区と6区の一部あたりの地区を指すそうで,位置的にはルーヴル美術館やノートルダム大聖堂からみてちょうどセーヌ川の南側あたり。ちょっと重なるかどうか微妙なアングルだけど,2008年にパリを訪れたときにセーヌ川にかかる「新橋」Pont Neufを渡るときに撮った一枚を(奥に写るのがエッフェル塔かと):

「カルチェラタン」はスペイン語で,たとえばWikipediaには,Barrio Latinoと紹介されている。フランス語のquartierにあたるcuartelという単語もあって,スペイン語でも「地区」という意味はあるようだけど,日常的にはこの意味で用いられている印象は受けない(あくまで印象の話で,実際はわからない)。手元にある西西辞典(SALAMANCAとCLAVE)にはそれぞれ第一義に「兵営」の意味が記載されている(もちろん「地区」の意味の記載もある)。ちなみに,スペイン語でいわゆる日本語の「カ行」は基本的には子音字cが担うが,[ke],[ki]の音にはce,ciの代わりにqu-の綴り字が現れてque,quiとそれぞれ書かれる(外来語はもちろんこの限りではない)。たまに学習の初期段階で,cuándo「いつ」やcuatro「4」っていう語に対しても過剰に反応してquándo,quatroと書く学生を見受ける。フランス語はまったくわからないのだけど,フランス語でca-/qua-の発音は同じなのか違うのかが気になる。
一方で,僕が勘違いしていた綴りは宝石・時計店で名を馳せる「カルティエ」の方。別にここの品なぞ一つも持っていないのだけどね。最近,疲れ目なのか,また視力が落ちたかなと思うことがときどきあるのだけど,そのせいにしておきたい。(とくに最近は暗がりでモノを読むことをすることが多くなった。これはよろしくない。)やれやれ。

miércoles, 3 de agosto de 2011

本に縁のある日

前期授業が終わって一週間。気づくと8月に突入している。前回ブログを書いてから丸ひと月以上が経過してしまった。ひたすら,3年半ぶりに再開した非常勤生活の授業に追われる数か月だった。

そんな前期も今朝でどこの学校の成績も提出し終えて一段落。野暮用と勉強を兼ねて月一の研究会以外で外大に久しぶりに足を運ぶ。片道約2時間かかる距離だけど,行ってみるとすごくいいことがあった。
図書館の2階,1階から入って階段を上った右手すぐのところにある自由閲覧室に廃棄となる図書がご自由にどうぞとなっていた。ので以下の5冊をいただいてきたという次第:
  • R.ヤーコブソン,1973,『一般言語学』(川本茂雄監修),みすず書房
  • J.H.グリーンバーグ,1973,『人類言語学入門』(安藤貞雄訳),大修館書店
  • W.L.チェイフ,1974,『意味と言語構造』(青木晴夫訳),大修館書店
  • J.L.オースティン,1978,『言語と行為』(坂本百大訳),大修館書店
  • 柳父章,1976,『翻訳とはなにか 日本語と翻訳文化』,法政大学出版局
入館ゲート付近には『ピエリア2011年春号 発見と探求への誘い』が置かれていたので一部いただく。主に新入生・在学生に向けた読書案内冊子で毎年の春に発行,これが通巻第3号だそうな。ちなみに僕の出身・神田外語大学にも『本はおもしろい』という名で同趣旨の冊子がある。こちらは,同大学図書館のサイトによれば,2003年から発行開始となっている。別冊が4冊出ているので,あわせると13冊に上る。

『ピエリア~』を昼食後にコーヒーを飲みながらいくつか拾い読みする。今まで名前は見聞きしていたものの実際にはまったく面識のない先生方の文章。なんだか本人と面と向かって初めての挨拶をするようでドキドキするような(?)感覚。「ホネ・ノ・アル新書」というコーナーの巻頭言には,今福龍太「『新書』再発見に向けて」。岩波新書と光文社カッパ・ブックス版をドン・キホーテとサンチョ・パンサに例える件にはなんだか親近感のようなものを覚え,次の件には思わず同感(できるほど本は読んでませんが):
 けれどいま、新書に託されてきた知性の歴史が忘れられようとしている。その素朴で高邁な志が、もっぱら売上げを旨とする経済原理によって裏切られようとしている。あまりの発刊点数によって書店の棚を占拠し、あまりの種類の多さによって版元の個性やアイデンティティを喪失した本の形態――いまやそれが新書である。それは飽和状態すら超えて過飽和となり、一部では安直な編集で内容の薄い「本ならざる本」を粗製乱造するメディアに成り果てている。
[pp.20-21]
「外大生にすすめる本」コーナーの巻頭エッセイである和田忠彦「批判的思考と実践のために――美学と詩学のすすめ」は正直ちょっとムツカシイ。U.エーコの言葉も引用されてる。が、こんな巻頭エッセイに迎えられる大学の学生は幸せ者だなあなんても思ったりする。同コーナーには、大学院前期のゼミでお世話になった宗宮喜代子先生と、同後期のゼミでやはり(しかも留学に行く前の半期だけという中途半端に)お世話になった峰岸真琴先生による案内もある。前者では、少し前に読了した佐々木正人『アフォーダンス入門』(講談社学術文庫)でわりと紙幅を割いて紹介されていたダーウィンのThe Formation of Vegetable Mould, Through the Action of Worms; with Observations on Their Habitsが、後者では今の僕の移動本になってる『街場の教育論』の著者・内田樹の『街場のメディア論』(と文中には『寝ながら学べる構造主義』)が取り上げられていて、なんだか先生方が少し身近に感じられた。
ほかに言語学関連の人物による文章では、「フィールドノート――わたしの研究余話」のコーナーに音声学の専門家・中川裕による「野外調査と読書」があり、カラハリ砂漠(南部アフリカのボツワナが位置するあたりらしい)でのキャンプ生活による現地調査の厳しさとそこで精力的に活動するフィールドワーカーの姿がありありと目に浮かんでくる。そんなたくましくも「不調法な」中川先生のキャンプ長期滞在中の気分転換になる唯一の娯楽が「寝袋での読書」だそうで、「砂漠のテントの中で読むこれらの文章は、生々しい刺激に満ちていて、想像力と感受性を支配し揺さぶり、味わったことのない濃厚で甘美な精神的経験をさせてくれる。虚構の世界の出来事を綴った文字を読むことによる想像力の刺激が、こんな麻薬的魅力をもち得ることを私はカラハリ砂漠のテントのなかで学んだ」(p.53)という。続く最後の段落で、そんな環境とは対照的に日常生活に溢れる人工的刺激(映像、照明、機械・電子音、etc.)に晒されて生きる私たちは、「言語の理解・解釈の能力の一部を麻痺あるいは鈍化」(ibid.)させているという可能性を指摘する件に深く考えさせられる。

domingo, 19 de junio de 2011

曇り空の下 / Bajo el cielo nublado

午後から半日,自転車でお出かけ。
亀有駅から北側をほぼ線路沿いに綾瀬駅まで。
駅北西側を行くのは初めてで、すぐのところに古本屋があったので早速寄り道。柳田国男『日本の昔話』(新潮文庫)をお買い上げ,店を出る。
しばらくは一軒家が続きそれが途切れたかと思うと町名も西亀有から綾瀬に変わった模様(つまり葛飾区から足立区へ)。そして進むたびに「~橋」の標石がちょこちょこ現れる。どれほど川に囲まれた土地だったことかが偲ばれる。
Kameari <--> Ayase / 亀有⇔綾瀬 (1) Kameari <--> Ayase / 亀有⇔綾瀬 (5)
都立葛飾聾学校の脇道を道なりに行くと次第に左に曲がっていってそのまま南下して行ってしまいそうだったので、境四橋で右に折れ西を目指す。と、その前にそばの中華料理屋でお昼。
やがてガード下がスーパーやさまざまなお店で賑やかになってきて、そのうちに綾瀬駅前に出た。本日の目的地。その辺の珈琲屋さんに入ってずっと手つかずで放っておかれた宿題を片付ける。
夕方は綾瀬駅周辺を散策。駅の西側線路沿いに2軒の古本屋さん発見。一軒目はCDやゲームなども扱ってるいわゆる今どきの中古書店。『レジェンド・オブ・メキシコ』(ロバート・ロドリゲス監督,2003年)が499円で売られてて,前に『デスペラード』を買っていたから「マリアッチ三部作」を揃えたい衝動に駆られて一度は手にしたけどそのまま棚に戻してしまった。今思えば買っておけばよかった。二軒目はいわゆる伝統的(?)な古書店で日本文学作品を中心に狭い店内に縦に並ぶ本棚を埋め尽くしていた。ここでも何も買わず。
その角から真北に延びる道をのぞくと,奥にお寺らしきものが見える。住宅街を入っていくと真言宗の観音寺があった。門外には説明板もあって,曰く,江戸から千葉の流山に撤退することになる新選組の一隊が宿泊したとのこと。さて,そのまま駅北側の住宅街をぐるっと回って再び線路沿いの道に出て,ほぼ駅真正面辺りにブックオフがあるのをいつも電車の中から確認していたので最後にそこに立ち寄る。茂木健一郎『脳と仮想』(新潮文庫),三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』(ちくま文庫),青池保子『アルカサル―王城― 13巻』(プリンセス・コミックス)を買う。最後のは一応少女漫画にカテゴライズされる一冊なのだけど,学部時代に師匠の授業の「雑学プリント」で知って以来古本屋で少しずつ揃えてきて,この度最終巻を100円で見つけたのでお買い上げとなった。残るは10~12巻の三冊である。
すっかり日も暮れてから帰途につく。今度は常磐線の南側。ひたすら住宅街の中を亀有駅前まで進み,あとはいつもどおりの帰路。すっかり待ちぼうけをくらった洗濯物を取り込んで二日目カレーを食らう。久しぶりに地元をゆっくりと散策した休日となった。さ,洗い物して明日の準備しないと。

sábado, 11 de junio de 2011

平凡な土曜日 / Un sábado nada especial

ブログに記事を書くのはなんと2ヶ月以上ぶり。前回からの出来事を備忘的に記すにはもはやあまりにも長い時間が開いてしまった。4月から始まった約3年半ぶりの非常勤講師生活は思った以上に大変で,平日は朝起きて出講,授業,帰宅,夕飯と翌日の授業準備で一日が終わっていく。移動時間が長い(2時間以上)日が週に3日あり,これもあってか一日があっという間に過ぎて行く。
そんな授業と移動の日常の中で目ぼしいことといえば:

(1)東日本大震災からちょうどひと月が経った4月11日(月)に復帰後最初の授業@東海大学。
(2)4月17日(日)。土方歳三資料館@日野市を訪ねる。ひと月ほど前に読了した司馬遼太郎『燃えよ剣』を携えて,相方さまと。京王線高幡不動駅で下車し,まずは駅からすぐの高幡不動尊金剛寺をお参りして「開運そば」で腹ごしらえ。駅北西の辺りから浅川を越えてそのまま川沿いに多摩モノレール万願寺方向に上って行って資料館へ。歳三の元の生家は石田寺付近にあったそうだが,その後現在の地(万願寺駅からわりとすぐのところ)に移築されたとのこと。実はこの日から愛刀和泉守兼定の刀身限定公開(年に一度,彼の命日にちなみ毎年この時期に展示される)が始まり,その愛刀とともに歳三が使用した鉢金や書簡,句集などを存分に拝んできた。帰りしな石田散薬を入れて担いでいた薬箱にも記されている「山丸印」の入った飴や彼を模った人形焼きを買う。それに,蝦夷地に渡ったのち,軍服に身を包み腰かけて写真に収まる姿のポストカードも一枚。館外には天然理心流の木刀のレプリカも置いてあって,記憶の遥か彼方にいってしまった上段の構えを取ってみるも無残な姿に。最後に彼と土方家の墓所である石田寺を訪れ日野を後にする。

(3)4月の半ばに九州は宮崎に転勤となった大学バレー部の同期の引っ越しを手伝ったり(地デジ対応テレビを譲り受けた。ありがとうね),別の日に彼を囲んでささやかな歓送会を船橋の焼肉屋でひらく。何年も会っていなかった韓国語学科卒の後輩にも会って,今は高校で韓国語教師をしているといった話を聞く。
(4)4月下旬に母校の体育館でバレー部のOB・OGさんと練習会に参加。留学から戻ってようやく高橋先生にもお会いできた。先生はあいかわらずお忙しそうな様子の反面,久保さんのお子さんたちは元気いっぱいだった。翌日からの4月最終週に獨協大学での授業も始まったことで,すべての非常勤先で仕事開始。
(5)5月は連休前後から東京に住む弟くん(松井家次男)と頻繁に会う。月末にあるとあるイベントに向けての仕込みのためである。
(6)その一方で,連休中にもう一人の弟くん(松井家三男)が東京での高校の友人の結婚式に出たついでに亀有の我が家に訪れる。滞在時間わずか一時間程度とかなり慌ただしくて可哀想だったけど,翌日には仕事だったからやむを得ず最終の新幹線で湖西に帰っていった。
(7)5月28日(土)には,そんな弟くんの結婚の儀が静岡にて執り行われた@徳川慶喜公屋敷跡「浮月楼」。お相手は大学4年当時からお付き合いのあった人でなんと静岡は富士宮のご出身。笑顔が素敵で人当たりがよく,披露宴後に少し言葉を交わしたのみだったけどお似合いの新郎新婦であると確信。これからは浜松での新生活が始まるのである。あらためて二人の門出を心より祝福します。勇介・愛ちゃんおめでとう,末永くお幸せにね。またこの日のために仕込んだのが,家族アルバム。勇介個人に対してなのだけど,松井家を「卒業」して旅立っていく彼へのささやかな贈り物である。ところで式に参列してくれた親戚一同の中でも,従妹のお姉さんたちの子どもの大きいこと大きいこと。一番年上の子がすでに19歳なのだと聞いて,成長の速さに驚くとともに自分はどれだけ変わったのかとついネガティブに考えてしまう。翌日曜には東海大学海洋科学博物館(@静岡市清水区)という名の水族館を見学してから,葛飾へと戻る。
(8)6月4日(土)は,大学スペイン語学科の友人がこのたびアメリカ合衆国はポートランドへの栄転(?)が決まったのでその歓送会を@秋葉原。16時半開店~閉店(24時くらい)まで飲み放題という会場をとりつけた「敏腕を通り越して剛腕幹事」(内藤くんの言)のおかげで,もちろん開店時間集合・開始から閉店まで楽しく飲んで食べて大いに笑って過ごす。主役の田邉夫妻の子二人と紀紫ちゃんの子も,彼らなりに楽しめたみたいでなにより。総勢17名(一樹夫妻+2,紀紫ちゃんと優くん,咲ちゃん幹事,多恵ちゃん,礼ちゃん,内藤くん,西川,岳,清史,琢磨,しょこたん,裕美子,わたくし)でにぎやかな一夜。出発は来週の一樹,気をつけていってらっしゃい。

そして今日はこれから大学バレー部の新入部員歓迎会(いわゆる新歓)に津田沼へ。二次会からの参加。我が男子バレー部の現況はマネージャー3名,プレーヤー1名という,まるで現在の日本経済のよう。つまり,ひじょうに厳しい状況だけど,いつかまた部員の増える時代が来ると信じて,つねにオープンマインドで少ないながらもこの辛い時期を乗り越えてほしいと願うばかり。雨は今のところやんでるけど,このまま降らないでくれているといいな。

martes, 12 de abril de 2011

Pasado un mes, el re-comienzo / 再始動

東日本大地震発生よりまるひと月が過ぎた。そんな昨日はまいった,の一言で終わる一日だった。久しぶりの非常勤が東海大学で始まって2コマ続けてしゃべっただけですでに授業中に喉が痛くなる。やれやれ。発声のなってなさを痛感。しかし学生(とくに新入生のクラス)は元気だった。天気のよい春の日によくあってた。17時頃大学を後にして小田急線から千代田線に乗りついでしばらくしたところで,かなり大きめの余震があったことに車内アナウンスでやっと気づく。それで電車の雰囲気が何か違ったものに感じられていたのかが腑に落ちた。少し進んではしばらく停車を繰り返し,3時間ほどかかって亀有駅着。電車を降りるとたいそう雨が降っているではないか。むろん傘はない。かくして天気予報は当たっていたのだった。いや,降り始める前に帰宅するつもりで家を出たのだけど,まあそれに間に合わなかっただけのこと。ぎりぎりまだ開いていた駅近くのダイソーでビニール傘を買って雨の中を徒歩にて帰る。中川橋上では強風が横に吹きつけてきてたおかげでスーツのズボンはびしょ濡れだ。でもパンツの中まで~にはならない程度で済んだからよしとするべきだろう。とにかく長い一日だった。

今日は授業はなかったのだけど獨協大学に行く。LLの授業を担当することになったので,授業開始日が延びたことだし,事前に操作を教わるために。阿部さんはサポートをどうぞよろしくお願いします。そして萩原さんにはいろいろな申請手続きまで付き添っていただいてたいへんお世話になりました。朝には講師室で偶然同僚になるPiliに会って,僕の用事が終わったらお茶をする約束をしたので研究室に伺うと,お昼まだだったら美味しいインド料理屋さんがあるからということで,じゃあそこに行こうとなった。食べてる最中に揺れがきてPiliが思わず外に出たので後を追い,揺れが収まるのを待った。そんなことがあったけど,ラッシーなる飲物も試したりして美味しくいただきました。Piliご馳走さまです。ひとしきりおしゃべりもしてキャンパスに戻ると彼女はもう少し授業準備をするということで校舎の中に消えていった。しかし獨協大学は,キャンパスだけでなくそこで働く人たちや行き交う学生たちまでもがなかなかいい雰囲気を漂わせていた。Piliには「ここは好きになれそうだ」と率直に伝えたら彼女も似たような感じを抱いてると応えてくれた。キャンパスは新入生の何かしらの行事があったのか,かかる学生とその学生たちを目的にした新入生勧誘に精を出す在学生たちでにぎわっていた。

さて僕は帰宅。18時から歯医者の予約。ブリッジが入る日だ。マドリーでのあの日から約7か月。ようやく隙間が埋まった。と同時に歯並びの悪さがもしかしたら先天的なものなのでは,将来子どもにも伝わるのではとおどかされる。その時まで自分の歯並びの悪さは,相対的な顎の小ささと4本とも完全埋伏歯の親知らずのせいだろうと勝手に思っていたのだけど,どちらの可能性も否定されて終わる。まあそうしたら子どもは矯正だね。僕はしたことないけど。それよりまずまだ子どもいないけど。あと,僕は無意識のうちに歯を強く噛みしめ過ぎる癖があることもあわせて教えてもらった。おそらくそのせいで歯を支えている骨が発達して隆起してしまっているとのご指摘。これは,たとえば将来入れ歯をする際に問題になるという。これに対する僕の説明は次のようなものだけど,これも否定されるのかは定かではない。そこまでは話に出さなかったから:
小学生のころに年に一度,夏になると山梨と松本に住む同い年の従兄弟と3人で大阪にある色覚異常を改善する治療を施すというクリニックに,その山梨の従兄弟の母親に付き添ってもらいながら通っていた。大阪に住む親戚の家にみなで寝泊まりさせてもらって,でも今となっては一週間だか一か月だか,どれくらいの期間通っていたのかよく覚えていない。そこでの治療方法は,まず一人一人図書館にある備え付けの勉強机のような台の前に腰かけて,イヤフォンのヘッドが直径5センチ程度の円形状になったモノにスポンジをはめ込み,それを通電液で濡らしてこめかみ辺りに押し当てて目を閉じスイッチをオンにすると,一定間隔で断続的に電気が流れてそうすると暗くなった眼前に光の輪がくるくる回って現れるのでそれをしっかりと見続けましょう,というものだった。とにかく,これも一回当たりどのくらいの時間受けていたのかはもはや覚えていないのだけど,この電通治療が痛くて痛くてよく泣きべそかきながら受けたものだった(たまに異形の器具を使う回があって,それはこめかみではなく細長いスポンジを鼻の中に突っ込んでそこへ通電するというモノ。さらに痛くて見た目以上に悲惨。終了後スポンジを抜くと鼻水がだらーとなることは想像に難くないであろう)。もちろん決していいものではなかった。「和同会の山田です。・・・」と淡々と語る院長であろう人物の録音テープが繰り返し繰り返し流されていたことがあわせて思い出される。それでもよかった思い出として残ってるのは,待ち合い室にあった手塚治の漫画が読める瞬間(とくに『三つ目がとおる』を読んでた覚えがある),従兄弟同士でクリニックの行き帰りの道すがら「ゲームウォッチ」(「ゲームボーイ」の先駆けのようなもので,今ググったら「ゲーム&ウォッチ」という任天堂の商品があったことを知る,というかそんなものもあったかとうっすら思い出す!)で遊んだこと(ゲゲゲの鬼太郎のゲームだった)や夜な夜な怖い話をし合ったことなど。これは本当に楽しかったな。と,回顧が長くなった。仮説的説明に戻ろう。そんなにも痛い治療だったので,かなり歯を食いしばって耐えていたに違いない。これを毎年わずかな期間でも繰り返すうちに,噛みしめの癖がついてしまったのではないかと思うのだが,どうだろうか。

さ,だいぶ記憶を遡ったところで,明日は母校での初日だ。

sábado, 2 de abril de 2011

Esa muela / 新年度の始まりに

歯医者へ行った。
すべては半年以上も前に,マドリーで(たった今からMadridは「マドリー」と表記することにした。以前までは「マドリッド」を好んで使っていたのだけど)夏季休業が明け再開した寮に戻ってきた初日の夜,食堂で夕食をとっていたらとれた,今は無きその歯があった箇所を診てもらうために。場所はアパートから最も近いところにある歯科医院。徒歩1~2分の近さ。実は今週の月曜に初診に訪れていて,そのときまではインプラントの可能性を考えていたのだけど,僕の上顎洞(じょうがくどう: ここで起こる「蓄膿症」のことを「上顎洞炎」と呼ぶそうな)の位置の問題からインプラントよりもブリッジによる施術の方が妥当だと告げられる。今日はそのための検診といったところ。30分もかからず終わって,いよいよ次回から施術が始まる。具体的には,欠損した歯の両側の歯を全体的に削ることはせずに,それぞれの歯の中心から十字に削ってそこに義歯をはめ込むことに。この方が比較的侵襲も少なく,施術時間も短くてすむ,値段も若干安め,そして審美的にも上ということで,これだけ聞いたら「じゃあそれでいいじゃない」と。唯一ともいえる欠点は,前者よりも安定感に欠けることだそうな。そりゃあ土台の面積が相対的に少ないのだからね。とにかく,来週には健全な歯が削られるのだ。今は無き歯のために。隣人よ,少々耐えておくれよ。そうすれば歯全体の長期的バランスがよくなるのだから。

さて。帰宅後はキャベツと玉ねぎとさやえんどうを加えたインスタントラーメンを作ってお昼。食べ終えるや落ち着く間もなくKUISのキック・オフミーティングに出かける。1時間半以上前に京成幕張着。まずはJRの駅前通りにある千葉信金で口座解約のご相談。幕張銀座通りを抜けて大学を目指す。ところでこの通り沿いには古くからありそうな豆腐屋,米屋,酒屋,理髪店,赤提灯の店,などが立ち並び,なかなかこれはこれで風情があるんじゃないかしらと感心した。14号を渡って埋め立て地帯に入ると,ところどころに東日本大地震の爪痕が認められる。大学に着いたら会議室には直行せず,まずは図書館を目指す。したところ4年前くらいに担当した授業にいた学生・西川遼くんと偶然ばったり出会う。というより,向こうから声をかけてくれたおかげで気づいたのだった。やりたいことを果たすためにあえて留年して大学に残ったとのこと。最後の追い込みがんばるんだよ,応援してるからね。その次に広報の前を通り過ぎようとしたときに,バレー部つながりのミツオくんに気づいてもらいご挨拶。またバレー部の練習に顔出しますからね。さて,図書館。お目当ては同大学図書館で毎年編集されている『本はおもしろい』という新書サイズの本のバックナンバー。これは師匠である江藤先生からの事前のメールによるご指示あってのこと。2007-2010年版を無事にちょうだいし,いよいよミーティングへ。主に師匠以外の先生方とは久方ぶりのご対面となる。今年度から再びよろしくお願いいたします。その後の懇親会ではポルトガル語専攻の高木先生を見つけてご挨拶。スポーツセンターの村野先生を見かけるも挨拶し損ねる。バレー部の先輩でもある久保さんとも会開始の挨拶中に見つけていただいたきり,ろくに話もできなかった。結局,スペイン語の非常勤集団が最後まで残ってミレニアムハウスを後にする頃にはすっかり日も暮れかけていた。バレー部後輩の美佳が去年の夏くらいにキャリア教育センターへ異動になったと聞いていたのでのぞいてみるもすでに退社後。久保さんが兼務される学長室控え(?)をのぞくも右に同じ結果に。このお二方には後日あらためて挨拶に伺うということで。

久しぶりに一気にたくさんの人と会った。少々疲れたのか,夕飯は西友でお弁当を買ってつけあわせに大根と本日ダブルヘッダーとなるさやえんどう+細ネギのみそ汁を作っていただく。初回授業まであと10日。

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PD. お恥ずかしいことに「奥歯」の綴りを間違えたので訂正しました。言い訳ではないのだけど,発音を考えたり実際に発音するときは"l"エルでしている,少なくとも自分はそれを意識しているのに,なぜか書く段になると"r"になっていた。結局,まだそれだけこの二つの音素に対する弁別の意識が弱いのだろう。それと「奥歯」っていう語彙の綴りもはっきりとしたイメージとして記憶されていないのかもしれない。つまりは曖昧なままにしているのだ。ともあれ,ご指摘いただけた師に深謝です。