¿De qué?

domingo, 19 de junio de 2011

曇り空の下 / Bajo el cielo nublado

午後から半日,自転車でお出かけ。
亀有駅から北側をほぼ線路沿いに綾瀬駅まで。
駅北西側を行くのは初めてで、すぐのところに古本屋があったので早速寄り道。柳田国男『日本の昔話』(新潮文庫)をお買い上げ,店を出る。
しばらくは一軒家が続きそれが途切れたかと思うと町名も西亀有から綾瀬に変わった模様(つまり葛飾区から足立区へ)。そして進むたびに「~橋」の標石がちょこちょこ現れる。どれほど川に囲まれた土地だったことかが偲ばれる。
Kameari <--> Ayase / 亀有⇔綾瀬 (1) Kameari <--> Ayase / 亀有⇔綾瀬 (5)
都立葛飾聾学校の脇道を道なりに行くと次第に左に曲がっていってそのまま南下して行ってしまいそうだったので、境四橋で右に折れ西を目指す。と、その前にそばの中華料理屋でお昼。
やがてガード下がスーパーやさまざまなお店で賑やかになってきて、そのうちに綾瀬駅前に出た。本日の目的地。その辺の珈琲屋さんに入ってずっと手つかずで放っておかれた宿題を片付ける。
夕方は綾瀬駅周辺を散策。駅の西側線路沿いに2軒の古本屋さん発見。一軒目はCDやゲームなども扱ってるいわゆる今どきの中古書店。『レジェンド・オブ・メキシコ』(ロバート・ロドリゲス監督,2003年)が499円で売られてて,前に『デスペラード』を買っていたから「マリアッチ三部作」を揃えたい衝動に駆られて一度は手にしたけどそのまま棚に戻してしまった。今思えば買っておけばよかった。二軒目はいわゆる伝統的(?)な古書店で日本文学作品を中心に狭い店内に縦に並ぶ本棚を埋め尽くしていた。ここでも何も買わず。
その角から真北に延びる道をのぞくと,奥にお寺らしきものが見える。住宅街を入っていくと真言宗の観音寺があった。門外には説明板もあって,曰く,江戸から千葉の流山に撤退することになる新選組の一隊が宿泊したとのこと。さて,そのまま駅北側の住宅街をぐるっと回って再び線路沿いの道に出て,ほぼ駅真正面辺りにブックオフがあるのをいつも電車の中から確認していたので最後にそこに立ち寄る。茂木健一郎『脳と仮想』(新潮文庫),三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』(ちくま文庫),青池保子『アルカサル―王城― 13巻』(プリンセス・コミックス)を買う。最後のは一応少女漫画にカテゴライズされる一冊なのだけど,学部時代に師匠の授業の「雑学プリント」で知って以来古本屋で少しずつ揃えてきて,この度最終巻を100円で見つけたのでお買い上げとなった。残るは10~12巻の三冊である。
すっかり日も暮れてから帰途につく。今度は常磐線の南側。ひたすら住宅街の中を亀有駅前まで進み,あとはいつもどおりの帰路。すっかり待ちぼうけをくらった洗濯物を取り込んで二日目カレーを食らう。久しぶりに地元をゆっくりと散策した休日となった。さ,洗い物して明日の準備しないと。

sábado, 11 de junio de 2011

平凡な土曜日 / Un sábado nada especial

ブログに記事を書くのはなんと2ヶ月以上ぶり。前回からの出来事を備忘的に記すにはもはやあまりにも長い時間が開いてしまった。4月から始まった約3年半ぶりの非常勤講師生活は思った以上に大変で,平日は朝起きて出講,授業,帰宅,夕飯と翌日の授業準備で一日が終わっていく。移動時間が長い(2時間以上)日が週に3日あり,これもあってか一日があっという間に過ぎて行く。
そんな授業と移動の日常の中で目ぼしいことといえば:

(1)東日本大震災からちょうどひと月が経った4月11日(月)に復帰後最初の授業@東海大学。
(2)4月17日(日)。土方歳三資料館@日野市を訪ねる。ひと月ほど前に読了した司馬遼太郎『燃えよ剣』を携えて,相方さまと。京王線高幡不動駅で下車し,まずは駅からすぐの高幡不動尊金剛寺をお参りして「開運そば」で腹ごしらえ。駅北西の辺りから浅川を越えてそのまま川沿いに多摩モノレール万願寺方向に上って行って資料館へ。歳三の元の生家は石田寺付近にあったそうだが,その後現在の地(万願寺駅からわりとすぐのところ)に移築されたとのこと。実はこの日から愛刀和泉守兼定の刀身限定公開(年に一度,彼の命日にちなみ毎年この時期に展示される)が始まり,その愛刀とともに歳三が使用した鉢金や書簡,句集などを存分に拝んできた。帰りしな石田散薬を入れて担いでいた薬箱にも記されている「山丸印」の入った飴や彼を模った人形焼きを買う。それに,蝦夷地に渡ったのち,軍服に身を包み腰かけて写真に収まる姿のポストカードも一枚。館外には天然理心流の木刀のレプリカも置いてあって,記憶の遥か彼方にいってしまった上段の構えを取ってみるも無残な姿に。最後に彼と土方家の墓所である石田寺を訪れ日野を後にする。

(3)4月の半ばに九州は宮崎に転勤となった大学バレー部の同期の引っ越しを手伝ったり(地デジ対応テレビを譲り受けた。ありがとうね),別の日に彼を囲んでささやかな歓送会を船橋の焼肉屋でひらく。何年も会っていなかった韓国語学科卒の後輩にも会って,今は高校で韓国語教師をしているといった話を聞く。
(4)4月下旬に母校の体育館でバレー部のOB・OGさんと練習会に参加。留学から戻ってようやく高橋先生にもお会いできた。先生はあいかわらずお忙しそうな様子の反面,久保さんのお子さんたちは元気いっぱいだった。翌日からの4月最終週に獨協大学での授業も始まったことで,すべての非常勤先で仕事開始。
(5)5月は連休前後から東京に住む弟くん(松井家次男)と頻繁に会う。月末にあるとあるイベントに向けての仕込みのためである。
(6)その一方で,連休中にもう一人の弟くん(松井家三男)が東京での高校の友人の結婚式に出たついでに亀有の我が家に訪れる。滞在時間わずか一時間程度とかなり慌ただしくて可哀想だったけど,翌日には仕事だったからやむを得ず最終の新幹線で湖西に帰っていった。
(7)5月28日(土)には,そんな弟くんの結婚の儀が静岡にて執り行われた@徳川慶喜公屋敷跡「浮月楼」。お相手は大学4年当時からお付き合いのあった人でなんと静岡は富士宮のご出身。笑顔が素敵で人当たりがよく,披露宴後に少し言葉を交わしたのみだったけどお似合いの新郎新婦であると確信。これからは浜松での新生活が始まるのである。あらためて二人の門出を心より祝福します。勇介・愛ちゃんおめでとう,末永くお幸せにね。またこの日のために仕込んだのが,家族アルバム。勇介個人に対してなのだけど,松井家を「卒業」して旅立っていく彼へのささやかな贈り物である。ところで式に参列してくれた親戚一同の中でも,従妹のお姉さんたちの子どもの大きいこと大きいこと。一番年上の子がすでに19歳なのだと聞いて,成長の速さに驚くとともに自分はどれだけ変わったのかとついネガティブに考えてしまう。翌日曜には東海大学海洋科学博物館(@静岡市清水区)という名の水族館を見学してから,葛飾へと戻る。
(8)6月4日(土)は,大学スペイン語学科の友人がこのたびアメリカ合衆国はポートランドへの栄転(?)が決まったのでその歓送会を@秋葉原。16時半開店~閉店(24時くらい)まで飲み放題という会場をとりつけた「敏腕を通り越して剛腕幹事」(内藤くんの言)のおかげで,もちろん開店時間集合・開始から閉店まで楽しく飲んで食べて大いに笑って過ごす。主役の田邉夫妻の子二人と紀紫ちゃんの子も,彼らなりに楽しめたみたいでなにより。総勢17名(一樹夫妻+2,紀紫ちゃんと優くん,咲ちゃん幹事,多恵ちゃん,礼ちゃん,内藤くん,西川,岳,清史,琢磨,しょこたん,裕美子,わたくし)でにぎやかな一夜。出発は来週の一樹,気をつけていってらっしゃい。

そして今日はこれから大学バレー部の新入部員歓迎会(いわゆる新歓)に津田沼へ。二次会からの参加。我が男子バレー部の現況はマネージャー3名,プレーヤー1名という,まるで現在の日本経済のよう。つまり,ひじょうに厳しい状況だけど,いつかまた部員の増える時代が来ると信じて,つねにオープンマインドで少ないながらもこの辛い時期を乗り越えてほしいと願うばかり。雨は今のところやんでるけど,このまま降らないでくれているといいな。

martes, 12 de abril de 2011

Pasado un mes, el re-comienzo / 再始動

東日本大地震発生よりまるひと月が過ぎた。そんな昨日はまいった,の一言で終わる一日だった。久しぶりの非常勤が東海大学で始まって2コマ続けてしゃべっただけですでに授業中に喉が痛くなる。やれやれ。発声のなってなさを痛感。しかし学生(とくに新入生のクラス)は元気だった。天気のよい春の日によくあってた。17時頃大学を後にして小田急線から千代田線に乗りついでしばらくしたところで,かなり大きめの余震があったことに車内アナウンスでやっと気づく。それで電車の雰囲気が何か違ったものに感じられていたのかが腑に落ちた。少し進んではしばらく停車を繰り返し,3時間ほどかかって亀有駅着。電車を降りるとたいそう雨が降っているではないか。むろん傘はない。かくして天気予報は当たっていたのだった。いや,降り始める前に帰宅するつもりで家を出たのだけど,まあそれに間に合わなかっただけのこと。ぎりぎりまだ開いていた駅近くのダイソーでビニール傘を買って雨の中を徒歩にて帰る。中川橋上では強風が横に吹きつけてきてたおかげでスーツのズボンはびしょ濡れだ。でもパンツの中まで~にはならない程度で済んだからよしとするべきだろう。とにかく長い一日だった。

今日は授業はなかったのだけど獨協大学に行く。LLの授業を担当することになったので,授業開始日が延びたことだし,事前に操作を教わるために。阿部さんはサポートをどうぞよろしくお願いします。そして萩原さんにはいろいろな申請手続きまで付き添っていただいてたいへんお世話になりました。朝には講師室で偶然同僚になるPiliに会って,僕の用事が終わったらお茶をする約束をしたので研究室に伺うと,お昼まだだったら美味しいインド料理屋さんがあるからということで,じゃあそこに行こうとなった。食べてる最中に揺れがきてPiliが思わず外に出たので後を追い,揺れが収まるのを待った。そんなことがあったけど,ラッシーなる飲物も試したりして美味しくいただきました。Piliご馳走さまです。ひとしきりおしゃべりもしてキャンパスに戻ると彼女はもう少し授業準備をするということで校舎の中に消えていった。しかし獨協大学は,キャンパスだけでなくそこで働く人たちや行き交う学生たちまでもがなかなかいい雰囲気を漂わせていた。Piliには「ここは好きになれそうだ」と率直に伝えたら彼女も似たような感じを抱いてると応えてくれた。キャンパスは新入生の何かしらの行事があったのか,かかる学生とその学生たちを目的にした新入生勧誘に精を出す在学生たちでにぎわっていた。

さて僕は帰宅。18時から歯医者の予約。ブリッジが入る日だ。マドリーでのあの日から約7か月。ようやく隙間が埋まった。と同時に歯並びの悪さがもしかしたら先天的なものなのでは,将来子どもにも伝わるのではとおどかされる。その時まで自分の歯並びの悪さは,相対的な顎の小ささと4本とも完全埋伏歯の親知らずのせいだろうと勝手に思っていたのだけど,どちらの可能性も否定されて終わる。まあそうしたら子どもは矯正だね。僕はしたことないけど。それよりまずまだ子どもいないけど。あと,僕は無意識のうちに歯を強く噛みしめ過ぎる癖があることもあわせて教えてもらった。おそらくそのせいで歯を支えている骨が発達して隆起してしまっているとのご指摘。これは,たとえば将来入れ歯をする際に問題になるという。これに対する僕の説明は次のようなものだけど,これも否定されるのかは定かではない。そこまでは話に出さなかったから:
小学生のころに年に一度,夏になると山梨と松本に住む同い年の従兄弟と3人で大阪にある色覚異常を改善する治療を施すというクリニックに,その山梨の従兄弟の母親に付き添ってもらいながら通っていた。大阪に住む親戚の家にみなで寝泊まりさせてもらって,でも今となっては一週間だか一か月だか,どれくらいの期間通っていたのかよく覚えていない。そこでの治療方法は,まず一人一人図書館にある備え付けの勉強机のような台の前に腰かけて,イヤフォンのヘッドが直径5センチ程度の円形状になったモノにスポンジをはめ込み,それを通電液で濡らしてこめかみ辺りに押し当てて目を閉じスイッチをオンにすると,一定間隔で断続的に電気が流れてそうすると暗くなった眼前に光の輪がくるくる回って現れるのでそれをしっかりと見続けましょう,というものだった。とにかく,これも一回当たりどのくらいの時間受けていたのかはもはや覚えていないのだけど,この電通治療が痛くて痛くてよく泣きべそかきながら受けたものだった(たまに異形の器具を使う回があって,それはこめかみではなく細長いスポンジを鼻の中に突っ込んでそこへ通電するというモノ。さらに痛くて見た目以上に悲惨。終了後スポンジを抜くと鼻水がだらーとなることは想像に難くないであろう)。もちろん決していいものではなかった。「和同会の山田です。・・・」と淡々と語る院長であろう人物の録音テープが繰り返し繰り返し流されていたことがあわせて思い出される。それでもよかった思い出として残ってるのは,待ち合い室にあった手塚治の漫画が読める瞬間(とくに『三つ目がとおる』を読んでた覚えがある),従兄弟同士でクリニックの行き帰りの道すがら「ゲームウォッチ」(「ゲームボーイ」の先駆けのようなもので,今ググったら「ゲーム&ウォッチ」という任天堂の商品があったことを知る,というかそんなものもあったかとうっすら思い出す!)で遊んだこと(ゲゲゲの鬼太郎のゲームだった)や夜な夜な怖い話をし合ったことなど。これは本当に楽しかったな。と,回顧が長くなった。仮説的説明に戻ろう。そんなにも痛い治療だったので,かなり歯を食いしばって耐えていたに違いない。これを毎年わずかな期間でも繰り返すうちに,噛みしめの癖がついてしまったのではないかと思うのだが,どうだろうか。

さ,だいぶ記憶を遡ったところで,明日は母校での初日だ。

sábado, 2 de abril de 2011

Esa muela / 新年度の始まりに

歯医者へ行った。
すべては半年以上も前に,マドリーで(たった今からMadridは「マドリー」と表記することにした。以前までは「マドリッド」を好んで使っていたのだけど)夏季休業が明け再開した寮に戻ってきた初日の夜,食堂で夕食をとっていたらとれた,今は無きその歯があった箇所を診てもらうために。場所はアパートから最も近いところにある歯科医院。徒歩1~2分の近さ。実は今週の月曜に初診に訪れていて,そのときまではインプラントの可能性を考えていたのだけど,僕の上顎洞(じょうがくどう: ここで起こる「蓄膿症」のことを「上顎洞炎」と呼ぶそうな)の位置の問題からインプラントよりもブリッジによる施術の方が妥当だと告げられる。今日はそのための検診といったところ。30分もかからず終わって,いよいよ次回から施術が始まる。具体的には,欠損した歯の両側の歯を全体的に削ることはせずに,それぞれの歯の中心から十字に削ってそこに義歯をはめ込むことに。この方が比較的侵襲も少なく,施術時間も短くてすむ,値段も若干安め,そして審美的にも上ということで,これだけ聞いたら「じゃあそれでいいじゃない」と。唯一ともいえる欠点は,前者よりも安定感に欠けることだそうな。そりゃあ土台の面積が相対的に少ないのだからね。とにかく,来週には健全な歯が削られるのだ。今は無き歯のために。隣人よ,少々耐えておくれよ。そうすれば歯全体の長期的バランスがよくなるのだから。

さて。帰宅後はキャベツと玉ねぎとさやえんどうを加えたインスタントラーメンを作ってお昼。食べ終えるや落ち着く間もなくKUISのキック・オフミーティングに出かける。1時間半以上前に京成幕張着。まずはJRの駅前通りにある千葉信金で口座解約のご相談。幕張銀座通りを抜けて大学を目指す。ところでこの通り沿いには古くからありそうな豆腐屋,米屋,酒屋,理髪店,赤提灯の店,などが立ち並び,なかなかこれはこれで風情があるんじゃないかしらと感心した。14号を渡って埋め立て地帯に入ると,ところどころに東日本大地震の爪痕が認められる。大学に着いたら会議室には直行せず,まずは図書館を目指す。したところ4年前くらいに担当した授業にいた学生・西川遼くんと偶然ばったり出会う。というより,向こうから声をかけてくれたおかげで気づいたのだった。やりたいことを果たすためにあえて留年して大学に残ったとのこと。最後の追い込みがんばるんだよ,応援してるからね。その次に広報の前を通り過ぎようとしたときに,バレー部つながりのミツオくんに気づいてもらいご挨拶。またバレー部の練習に顔出しますからね。さて,図書館。お目当ては同大学図書館で毎年編集されている『本はおもしろい』という新書サイズの本のバックナンバー。これは師匠である江藤先生からの事前のメールによるご指示あってのこと。2007-2010年版を無事にちょうだいし,いよいよミーティングへ。主に師匠以外の先生方とは久方ぶりのご対面となる。今年度から再びよろしくお願いいたします。その後の懇親会ではポルトガル語専攻の高木先生を見つけてご挨拶。スポーツセンターの村野先生を見かけるも挨拶し損ねる。バレー部の先輩でもある久保さんとも会開始の挨拶中に見つけていただいたきり,ろくに話もできなかった。結局,スペイン語の非常勤集団が最後まで残ってミレニアムハウスを後にする頃にはすっかり日も暮れかけていた。バレー部後輩の美佳が去年の夏くらいにキャリア教育センターへ異動になったと聞いていたのでのぞいてみるもすでに退社後。久保さんが兼務される学長室控え(?)をのぞくも右に同じ結果に。このお二方には後日あらためて挨拶に伺うということで。

久しぶりに一気にたくさんの人と会った。少々疲れたのか,夕飯は西友でお弁当を買ってつけあわせに大根と本日ダブルヘッダーとなるさやえんどう+細ネギのみそ汁を作っていただく。初回授業まであと10日。

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PD. お恥ずかしいことに「奥歯」の綴りを間違えたので訂正しました。言い訳ではないのだけど,発音を考えたり実際に発音するときは"l"エルでしている,少なくとも自分はそれを意識しているのに,なぜか書く段になると"r"になっていた。結局,まだそれだけこの二つの音素に対する弁別の意識が弱いのだろう。それと「奥歯」っていう語彙の綴りもはっきりとしたイメージとして記憶されていないのかもしれない。つまりは曖昧なままにしているのだ。ともあれ,ご指摘いただけた師に深謝です。

viernes, 1 de abril de 2011

De vuelta al mundo docente / 再びこの世界へ

日付もかわって新年度が始まる。
3年半以上の間中断していた生活が,またやってくる。スペイン語の非常勤講師としての生活。でも「同じ生活」に戻るとは思わない。スペインに留学していろいろと変わったこともあるでしょう。思想も変わったのかもしれない。でも留学してなくても以前とは「同じ」ではあり続けないのだけど,という脳科学的話を出すまでもなく,とにかく,10日後には久しぶりの授業第1回目が新天地で始まるのだ。しかし博論はまだ終わってない。より一層気を引き締めねば。試練の年である。
明日(つまり今日金曜)は,それに先駆けて母校・神田外語大学で毎年恒例のキック・オフミーティング。今まさにこの文字を打ち込んだ瞬間に,そういえばこのミーティングのことを告げるような記事を当時はmixiに書いたななんてことを思い出した。そいういうわけで,お世話になった先生方とともに再び「勉強」することができるのだ。こうした取り計らいをしていただける諸先生方,とりわけ師匠にただただ感謝する次第である。
こうした非常勤の授業の関係もあって,今日は外大図書館に本を返すのと生協で予約してあった本を購入しに行ったついでに,柳原孝敦『映画に学ぶスペイン語―台詞のある風景』(東洋書店,2010)も買う。帰宅後,主に自分が観たことのある映画の解説を読んでみて,その面白さというか指摘するポイント・話の展開の仕方は大いに勉強になる。そして柳原先生の語り口調も一緒に思い出されるのであった。読んでいて楽しい。
ところで帰宅途中,新宿で丸ノ内線に乗り換えようとしたところ神田外語学院から電話をいただいて,内内に金曜一コマの担当することが決まった。非常勤先は神奈川県・埼玉県・千葉県といけずなくらい東京外しだったのだが,これで東京都区内に居を構えたことが晴れて報われた形になる。またこの学校にはやはりご縁のようなものがあるらしいことを思い知る。

帰りしな駅前の家電量販店でトースターをゲト(イチキュッパ,だ)。これで食パンとハチミツさえあればあとは美味しいトースト・ライフが約束されているのだ。